011 渋柿 
からからのからまわり  本文中SAMPLE

(前略)

 
 愛想よくってのがうまくできない。
 最近、その、この人を、ちょいと何だか妙な具合に意識し始めてから、特に。
 考えんな。てめーの感情が判らねェなら、何も考えんな。そう自分に言い聞かせて思考に蓋すりゃ、おいそれと感情が表に出ねェようにって精一杯で、悪ィた思うがとても愛想まで気が回らねェ。
 実際二人でいて俺がどんな面してんだか自分じゃ気付けねェが、近藤さんはちらりと俺の機嫌を探るような顔をする。
「お前がいるから爺さんは安心してんだよ。じゃなきゃこの広い屋敷で俺一人になっちまうだろ?」
 若い男てだけじゃなく、頑強で剣の師範代まで務めているくせに。おまけに真面目でまめで働き者。隣近所が確かにちっと離れちゃいるけどもこれ以上の用心棒はいねェだろう。
「アンタ、留守番も一人じゃできねェのか」
 こりゃあ見上げた若先生だと俺はわざと驚いた口調でからかった。こちらに話の矛先を向けたくないせいもある。
 俺にとっては確かに恩人で剣の師範、最低限の礼儀は取るが、当の本人が「堅苦しい事ァなしにしようや」と笑って言う。そんな距離の詰められ方に馴染みは薄かったが、老師範にしごかれながらも、一緒の釜で飯を食い、やれ掃除だ買い物だと雑用に追い回される内、裏表のない人柄に、いいと言うならいいんだろうと、ざっくばらんな口調に戻っていた。
 そんな風に人に対して垣根作らねェ人間ってのに逢ったのは、初めてだった。
 だから多分、俺ァ何だか浮かれて自分の感情を誤解してんだ。そうだと思う。
「ひっど。だったら使いも一人で行くかよ」
 近頃とみに疲れやすくなった大先生を気遣って、この人が名代を勤める事も増えてきた。そんな事は互いに承知の上での軽口だ。
 声の調子を俺に合わせ、拗ねたように唇を尖らせた近藤さんは咄嗟にそう言うと「あー……でも」と呟いて宙を睨んで口をつぐむ。
「何だよ」
 言いかけてやめんじゃねェと俺がむっと眉を寄せると、近藤さんはさも勿体ぶって「あのな」と口にした後「いややっぱ言えねェ」なんてわざとらしく片手を上げて首を横に振る。
「あァそうかよ」
 一体何だと問い詰めたいのをぐっと堪えて、俺は酒を入れた湯呑みに口を付けた。久し振りの酒は結構キツくてちょっと頭がぽっとする。
 雨戸は屋敷中閉めてある。明かりといえば部屋の中央に持ってきた行灯と、俺が横へ置いた煙草盆の火入れが仄かに赤いってなモンで、目が慣れちまうとゆらゆら揺れる影に普段は見えねェモンとか、見ちゃいけねェモンが見える気がして、俺はじっと行灯を凝視する。
 頬が熱いのは酒のせいだと思う。この人と二人きりのせいじゃねェと、思う。
「聞きたい?」
「あ?」
 どうにも変に意識しちまいぼんやりするのを抑えて近藤さんを見れば、濃い影の中、そりゃもうわくわくした顔されてほっとした。
 てめーの感情が漏れずに済んだと安心する反面、あァ面倒くせェ何がそんなに楽しいんだ、なんて空威張りする気分になる。





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