いい子二人 「近藤さん。こっち、こんだけは目ェ通してて」 そう言って土方は選り分けた書類を近藤に回し、うまそうに煙草を吸い付けた。 急遽出張の決まった近藤は、同行する官僚の顔と名前、経歴などを頭に叩き込んでいたが、その言葉に顔を上げる。 「サンキュ、助かった。ありがとな」 近藤の出張先となる天人の地の習慣や治安を調べていた土方の書類には、ご丁寧に「生水注意」と書かれている。 そんな小さな事に妙に気が緩んだ近藤は、くしゃりと相好を崩した。 「ありがと。トシ、組の事暫く頼むな」 近藤の大きな手が、ガシ、と土方の頭に乗る。 「いい子いい子」 頭を撫でる時の口癖を呟きながら、髪をかき回しては梳くように触れる近藤の手を、土方は気恥ずかしげに押し返した。 いくら夜二人きりで近藤の私室とはいえ、まだ眠りにつく程の時間ではない。この後近藤は荷物をまとめ風呂へ行き、早朝の出立に備えてなるべく早く休まなければならない。荷造り程度なら手伝うが、近藤なりのこだわりがあるらしく、大概自分でやりたがる。 ここで土方が、近藤の腕の強さに溺れる訳にはいかないだろう。 素直に撫でられてはくれない土方に、近藤が唇を尖らせた。 「ちょっと位甘えさせろよ」 「何言ってんだ」 アンタのは甘えてんじゃなくて、甘やかしてんだろう、と照れたように目を伏せながら土方が煙草を消す。 「ちょんの間(ま)位いいだろが」 拗ねた口調を作ってみせる近藤に、土方は堪らず小さく噴き出した。 「ちょんの間言うな」 近藤が口にすると言葉通りの「少しの時間」というよりは、一歩踏み込んだ、遊里で手早く欲望を処理する方の俗な意味に聞こえる。そのくせ生来の口調の明るさからか、下品にならないところが人徳か。 ちょっと休憩、残りは船で見るからよ、と近藤はそんな事を言いながら座ったままで大きくひとつ伸びをした。 「おいで」 両手を広げ向き直った近藤に、土方が言葉に詰まる。 「お前の髪、好きなの。撫でさせて」 反則だ。ずるい。そんなにこにこ無邪気に誘われちゃ断れねェ。 「俺ァ別に……」 「おいで」 濁した語尾に駄目押しと言葉を被せられ、土方はぐるりと視線を彷徨わせた後、結局近藤へと膝を進めた。 ぎゅっと抱き付かれた土方が、照れながら近藤の背へ腕を回す。寂しくないといえば嘘になるが言っても仕方がない。どんなアクシデントがあるかは知れないが、とりあえず今回の任務のお題目が危険ではない、その事を信じるのみだ。 宣言通り土方の髪に頬を寄せ、近藤は「いい子いい子」と小声で呟きながら頭を撫でる。 「お前、あれだよ。俺いなくても、ちゃんと休み取れよ?」 諭すような優しい声に、お見通しだなと土方は俯き加減で近藤の肩に額を付けた。 「判ってるって」 「判ってる奴にゃァ言わねェよ」 あくまでも穏やかな近藤の口調に、髪を、背を撫でる大きな手の平の緩やかな力に、敵わないと思う。この人がいない間、自分はきっと神経質に、それこそがむしゃらに走り続ける事だろう。ちったァセーブしねェと。それで倒れて近藤さんに迷惑かけるなんざ本意じゃねェ。 「……うん」 それにしてもアンタは俺をよく知っている。無理はしねェけど、なんでも、どんな些細な事でも、俺ァ真選組ん事に目ェ光らせていたいんだ。アンタが対外交渉に出てくれる分、隊内の事位は俺がって思っちまうんだよ。 性分なんだと今更な言い訳をするよりもと、土方は顔を上げ、近藤の首に抱き付いて耳に直接囁いた。 「な、俺がそれ、する」 「あん?」 吐息にくすぐったいと楽しげに目を細めた近藤が、土方を見る。その顔に土方も微笑んだ。 「いい子いい子って。俺がしてやる」 言って近藤の硬い髪を土方が撫でる。と、近藤はぐっと上体を引き離した。 「いや……いいわ」 真顔になった近藤に、土方がきょとんとする。ここで拒まれるとは思っていなかった。 「なんで」 「だってそんな、ガキじゃねェんだから」 唇を尖らせ、目を逸らせながらもじもじと言ってのける近藤に土方が目を剥く。 今の今までアンタ、俺にそれ、してませんでしたか。俺だってガキじゃねェんですけど。なんだそれふざけんな。甘えたいんだろうが! 喉まで出掛かった言葉を抑え、土方は先ほどの近藤の真似をして両手を開いた。 「……おいで」 その座った声音と目の色に、近藤は多少びくつきながら仕方なく、おずおずと土方に体を寄せる。 「よしよし」 常の近藤を思い出し声をかけながら、自分からなら体の関係がある俺だけじゃなく、総悟でも誰でも、それこそ気に入りゃ頭を撫で擦っているような人が、なんでそんな体堅くしてんだ、とおかしくなる。 「緊張してんの? なんで? ハイいい子いい子」 面白くなって繰り返す言葉と撫でる手の平に、近藤が身を捩る。 「俺、いい子じゃねェし」 「アンタがいい子じゃなきゃ誰がいい子よ」 こんなもん言葉に意味なんかねェだろう。そう思いながらも土方は、落ち着かない様子で目を泳がせる近藤が愉快だった。 「だってなんか……。照れんだもん」 小さく零すと、近藤は土方を抱き締め、髪をくしゃりとかき混ぜる。 「撫でんのは平気なんだけどなァ」 はにかんで、そんな自分が決まり悪いと近藤が顔をしかめて土方に笑いかけた。 「しょうがねェなァ」 土方は肩の力を抜くと、つられたように小さく唇に笑みを乗せ、間近の近藤の鼻先に口付ける。 土方としてはいつもどれだけ自分が照れくさく、それでもいかにその人の手の平ひとつでうっとりするのか判らせてやりたかったが、結局はこうして丸め込まれる。 下手だけど俺が甘えてやるから、アンタは俺を甘やかして、いい気分になっちゃって。 「いいだけ撫でられててやるよ」 精々恩着せがましく土方が言ってやった。 「あ、じゃあ時間ねェんでちょんの間で……」 「バカ」 ぺちりと近藤の頬へ手を当てる。そのままどちらともなく見つめあい、二人して小さく噴き出した。 |