目に青葉 屯所の庭の隅に植えられたドウダンツツジが、晴天の下青く茂った葉と小さな白い花を柔らかな風に揺らしている。 目の端に映る日の光の眩しさに、障子を閉めるかと立ち上がった近藤は、気分転換を兼ねて伸びをしながら暖かな陽が当たる廊下へ出て、軽く鼻を動かし新緑の空気を吸い込んだ。 ふと見れば先客とばかり、縁側の影の部分に、ご丁寧に枕を持ち出しアイマスクを付けた沖田が寝転がっている。 巡回は済んだのかと苦笑しながらも、近藤は陽気に誘われるよう傍らへ歩み寄り、胡坐をかいた。 足音が聞こえているだろうに、横になったまま身動ぎひとつしない沖田を見ると近藤は、そっと靴下を脱ぎ、眠る顔の上へと置く。途端に飛び起き、アイマスクをずり上げた沖田が何事か叫びながら、思い切り庭へ、握った白い靴下を放り投げた。 「おらァァァァ!」 「えええええっ」 勢いにつられて一緒に叫んだ近藤を、わざとらしく肩で息をした沖田が振り返る。 「殺す気ですかィ」 「なんでよ! 朝穿いたトコだもの! そこまで臭くねーもの!」 涙目になる近藤に派手な舌打ちをすると、沖田はペッと庭先に唾を吐いた。 「きったねっ」 「アンタの足の裏よりマシでさァ!」 言って二人して騒いでいるところへ、土方が顔を出す。 「うるせェなァ。何サボってんだ二人して」 のどかな日和に影響されたか、土方の声色には険がない。咥え煙草で日差しに目を細めた土方へ、近藤は庭から拾ってきた靴下を突き出した。 地面に立つ近藤を縁側の上から見下ろしながら土方が尋ねる。 「何のつもりだ」 「コレ持ってって。んで新しい靴下と雑巾持ってきて」 言った足元を土方が覗き込むと、確かに近藤は裸足で庭に下りていた。 「そういう時は先に「靴持ってきて」って頼めよな……」 呆れた溜息混じりに零しながらも、土方は指先で靴下を摘むと素直に踵を返す。 「サンキュー」 土方の背中に礼を言い、縁側に腰掛け足をぶらぶら揺らす近藤の隣で、沖田は枕を胸に抱えるようにして寝そべった。暫くそのまま近藤の調子っ外れの鼻歌を、聞くともなく耳にしていたが、やがてぽつりと口を開く。 「なんでですかィ?」 緩やかな風が沖田の髪をさらさらと流れた。 両腕を体の後ろに付き、青空と、木々をそよぐ風を仰ぎながら、ぼんやりと近藤が尋ねる。 「何が」 「アレでいいんですかィ?」 「何がよ」 焦れたような声に、近藤は沖田を振り返った。 うつ伏せに寝そべり所在なげに膝を曲げ、宙を泳ぐような格好で、沖田がポンと言葉を投げる。 「……真っ黒クロスケでさ」 言葉に含まれた小さな棘に、近藤が腕を組んだ。 「お前、そんなに副長やりてェの?」 小首を傾げ沖田の方をちょいと窺った近藤は、ふうんと考え込むように親指で顎鬚を弄る。 「アレか? お前副長ならトシが局長で……俺隊長すっか。一番隊」 満更でもなさそうな近藤の様子に沖田はくすりと笑って寝返りを打つと、腕を伸ばしてぼんやり、自分の手の血管が透ける様を眺めた。 「そうじゃねェでしょ」 「アレだぞー副長って結構アレ、面倒くさそうだぞ」 でもありゃアイツがやりたがりってのもあるよな、と一人ごちると近藤はニヤりと笑う。 「近藤さん。質問に答えて下せェよ。なんでアレなんですかィ?」 言葉は濁したままで、確と質問らしい質問をした訳ではなかった。それでも近藤になら判るだろうと漠然と疑わない。ただ、四角四面に言葉に出して、それでも近藤がとぼける事が恐かった。どこかに逃げ道を用意して、答えを貰えない自分を、のらりくらりと話をすり替える近藤を、許してやらなければならなかった。 どうせ今日もはぐらかされるんだろィと、沖田は手を胸の上で組み、アイマスクをせず目を閉じる。 そのまま眠りに落ちそうな澄ました顔を見下ろすと、近藤は暫く自分の顎鬚を撫でていたが、やがて沖田の顔のぎりぎりまで体を傾げ、顔を寄せた。 「総悟」 顔の真上から囁くと、気配は感じていたものの実際の距離の近さにぎょっとした沖田が、近藤の肩を押す。 「近ェですよ」 「うん」 返事はしたものの近藤に退く気はないようで、両手を沖田の頭の横へ付いたまま鼻がぶつかりそうな位置で瞳を覗き込んだ。 「つまりまァ、こんな感じ?」 真顔で言った後近藤は、ぷっと笑って上体を戻す。 「ぜんっぜん判りやせん」 近藤の息のかかった顔をごしごし拭いながら、沖田が拗ねた声を出した。それでも近藤が普段よりも何がしか自分の意を汲んでいるのを感じた甘え声だ。 「あれはなァ。……しょうがねェんだよ。だって、俺の事好きなんだもん」 器用に片眉を上げ、近藤が口の端を歪める。とぼけたように沖田を窺う顔からは相変わらず、腹の底がようとして知れない。だが正鵠を得た近藤の言葉に、沖田は静かに息を飲んだ。 日和を選び、時折り思い出した風を装って、決して忘れられずに繰り返される沖田の言葉は、まさにその、近藤と土方の恋情を言外に問うていた。二人が公にじゃれている訳ではない。それでも付き合いの長さから自然と、あの二人はそうなのだと察した。土方が自分同様、下手をすれば自分よりも酷く近藤に、ぞっこん惚れているのは判っていた。 判らなかったのは、聞きたかったのはいつも、なぜ土方に絆されたのかだ。 「俺も近藤さん、好きですぜィ」 抑揚のない声ではあったが、澄んだガラスのような目玉からは真摯なものが近藤へ伝わる。 「知ってるぅ。俺も、総悟大好きー」 言うと近藤は嬉しげな、掛け値なしの笑顔を浮かべ、歯をむき出して沖田の髪を散々っぱら撫で回した。 「勘弁して下せェ」 つられたように噴き出し、笑いながら近藤の手を逃れようと沖田がゴロゴロ転がり回る。その笑いに誘われて近藤の笑いも大きくなったが、やがて沖田と頭同士が合うように、体を廊下の反対方向へと投げ出し寝転んだ。 「あれはな、しょうがねぇんだよ」 笑みを空気に残したまま、近藤が言葉を繰り返す。沖田は再びうつ伏せると両肘で顎を支え、近藤を見た。 「あれはな、俺の、母ちゃんよりも、嫁さんよりも、俺が好きなんだよ」 言って近藤も寝返り、沖田と同じようなポーズを取る。 「びっくりだろ?」 沖田の得心いかない顔を眺め、近藤が不思議と自慢げに目を細めた。 「当たり前でさァ。あんたいつ妻帯したんですかィ? あ、想像妊娠みてェなエア結婚ですかィ? 気の毒に、もてねェからって陽気が脳に回ってありもしねェ夢を見て」 「うるせ」 春先は多いから、等と更に言葉を続けようとする沖田に、近藤がごつんと額と額をぶつける。 「俺の、未来の嫁さん。いてもいなくてもいいけどよ、例えば奇特な誰ぞかが嫁にきてくれたとしても、それよりやっぱりアイツのが、俺の事、好きなんだから、しゃああんめェよ」 近藤の、どこか悟った物言いに、沖田はみるみる内に渋面を作る。それでも近藤がそこまで自分へ語ったのは初めてだ。途中笑いに紛らわせた自分に、思った以上に誠心に応えた近藤の言葉を脳内で反芻すれば、それ以上からかう事もできなくなった。 そこへ土方が戻ってくる。 「廊下でぎゃーぎゃー騒いでんじゃねェよ。近藤さんもその汚れた足で何やってんだ。修学旅行じゃねェんだぞ」 言って沖田の尻を軽く踏む真似をした土方が、近藤へすすぎの布を差し出した。それを潮に体を胡坐の姿勢へ戻し足を拭う近藤へ、土方が目をやる。 「で、何の話?」 「死ね土方」 間髪入れずに呟いた沖田の口調は、近藤の言葉に当てられたように熱が篭らない。 「何の話だよ!」 それでも常からの台詞にむっとした土方が声を荒げると、近藤が笑った。 どこか甘い、花の香りを乗せた清新な風が吹く。 「トシがいなけりゃ、総悟が副長だったかねって話」 目配せをしながら、ニヤけて言った近藤の台詞に、沖田は仕方ないとでもいうよう荒い鼻息をひとつ鳴らして、今度こそ目を輝かせる。 先刻のノロケを聞かせて、土方をいい心持ちにさせるのも癪だ。 「死ね、土方!」 「だからなんで!」 跳ね起き、身軽に飛び掛かるいつもの姿を取り戻した沖田に、理不尽な仕打ちから身をかわし怒鳴る土方に、近藤は呵呵大笑した。 |