スーパースター


 屯所へ戻ってきた近藤を一目見て土方は、軽く眉を上げ「酷ェツラだな」と呟いた。
 見える部分にある顔の外傷としては殴打痕と思われるものが一番目立っていた。
「おう。結果はお察しの通りだよ」
 やさぐれた声で吐き出した近藤がよろよろと風呂へ向かう間に、土方は部屋で救急箱を取り出す。
 あの志村妙が「野球観戦なら」と店外デートを承知したと近藤に、弾んだ声で報告されたのはつい先日だ。あれ程近藤を毛嫌いしていたのが今更、と裏を疑う沖田の気持ちも判らないではなかったが、土方としてはようやくあの女にもあの人の魅力が伝わったかと感慨深い。
 大体近藤がいくら貢いでいると思っているのだ。相手もそれが商売、近藤の方とて承知の上で通いつめているのだから自分が口を挟む事ではないと思う。だから普段は口にしないが、近藤を対当に人として扱ってくれるのならほっとする。それで近藤が喜ぶのなら、自分もあの女を菩薩と崇めてやってもいい。
 近藤の願いすべてが叶えばいいと思う。
「デートだからおしゃれしねーと」
 そう言ってはしゃぐ近藤を、面倒くさいと思う気持ちも確かにあったが「よかったな」と素直に言えた。

 土方が近藤と体を重ねるようになってから暫くが経つ。
 昔土方は色欲絡みで惚れているのは自分だけだと頑なに信じていた。それが近藤から「好きだ」と言われた。嬉しかった。
 体を繋げる内、快楽までも存分に与えられた。これ以上望んではバチが当たると無意識に萎縮する魂を、近藤はゆっくりと時間と言葉、体を使ってほぐしてくれた。
 近藤が自分を大事にしてくれている事に疑う余地はない。今では土方にも純粋にそう思える。
 その上で近藤が他に女を望む、それは当然だと思う。
 自分の度量では近藤一人を受け止めるのが精一杯だが、あの人は違う。千手観音なら千人同時に救う。それと同じだ。俗には二股というのだろうが、近藤がこちらへ向けてくれる思いは半分にはならないだろう。比べるのではなくそれぞれを全力で愛するのだ。
 分限以上を望むのならばその状態は辛いと思う。
 得てして女はそれ以上を望むものだし、真実近藤を幸せにする女がいるというのなら、自分はいつでも身を引く覚悟がある。女は、女であるというだけで近藤との関係を祝福されるべきだと思う。
 それがあの女なのかは判らないが、近藤が現在ご執心だというだけであの女には生存価値がある。
 近藤が惚れていなければあの女には、近藤を殴り辱めたと、何度罰を与えればいいのか判らない。
 嫉妬ではなく制裁だ。
 自分がしなければ総悟がする。そう思う。
 よくある例えとして、「崖で自分と、あの女がぶら下がって助けを求めていたら近藤は」
 勿論女を助ける。それでいい。そうでなければ、困る。その後の近藤の人生で、「お前を助けたばかりに俺は」などと一度でも考えて欲しくない。
 それくらいなら忘れられていい。忘れられないのなら「いい奴だった」とほんのたまに思い出し、女に慰めてもらう近藤を想像した方がずっと気が楽だ。

 風呂から上がってきたらしい、近藤の足音がした。
 放っておいても山崎に任せるなり近藤が自分でするなり勝手にやるが、土方としては本日の、デートの様子が気にかかる。
 近藤の姿を見ればどうせ殴られ振られてきたかと見当はつくが、途中電話で話した時の、声のトーンが尋常ではなかった。
「で? なにがあったよ」
 座った近藤に水を向けると、相手は顎鬚辺りを親指の腹でかきながら「いやあ」と一旦口ごもる。
 打撲と擦過傷だけのようだと見て土方は、消毒薬を取り出した。
 その間に「信じて貰えねェと思うけど」などと言葉尻を濁しながら近藤は、屯所で槍が降ってきた、それ以降の話を始めた。
 子供と野球だという辺りから途中何度も、アンタそれに付き合ってやったのかと、よほど突っ込んでやろうかと喉まで出かかったがなんとか飲み込み、相槌だけで先を促す。
「それで?」
「それで。それでもう、なーんか、ヤになっちゃってさァ。着物はどろどろだし天気は悪ィし、多分俺は、行ったってまた殴られるだけだろ? 殴ってくれるならまだいいや、一生そのまま待ちぼうけ、球場前で年越しそばってのもありそうじゃん。それくらいなら俺と野球しただけで引きこもりが治っちゃうタロウくんとか俺と野球しただけで記憶喪失治っちゃうタロウくんの父とかそんな人たちが野球に行った方が楽しいのかなって。俺は野球にかこつけた下心だけどタロウ一家はきっと純粋に野球が好きなんだなって。そしたら、なんかもういっか、って」
 その時を思い出したのか天井を見上げ、ふう、と溜息をつく近藤に消毒液を塗りたくり、薬をしまいながら空気を換えるように尋ねてみる。
「そいつ、タロウって名前なの?」
「そこォ!? や、知らないけど。山田さんちであの顔で、野球ときたら、タロウくんでいいんだよ」
 丸くした目をふっと緩めて近藤が微笑む。
「だから、チケットあげちゃった。タロウ一家に。そしたら空が晴れてよォ。あーこれが運命かーって。やっぱ俺がお妙さんとデートなんざァ天地引っくり返ってもナシですね、ってなってるとこにお前から電話がきて」
「ああ」
 それでか。その時の近藤の様子は酷くしょげていた。確かにそれだけ連続で邪魔が入ったなら心が折れる気持ちも判る。自分でさえ一度はヌメック星と小林に引き回され禁煙を決意したのだ。
 まったく続かなかったけど、と当時を思い出し小さく笑うと、近藤は「笑っちゃうよね、ホント」と何度も自分で頷いている。
「そんなんじゃねェよ。てか、アンタじゃあその傷、あの女じゃねェの? 噂のタロウ一家ってのがボール球でアンタの顔めがけてボコッたってか」
 そうだとすると今度会う事があったなら、一度礼儀を教えてやろう、と土方が心のメモに覚え書きをしていると、近藤が噴き出した。
「この傷はお妙さんです。てかトシ、ボール球ってヤバくね、訳すとモロにタマタマじゃね?」
 くくく、と喉を震わせる近藤を見返した後土方は、「あの女なの?」ともう一度尋ねる。
 近藤はちゃんと約束の場所へ向かったんだろうか。あれ程楽しみにしていたものを、自分で反故になどして欲しくない。運命なんてものに屈する近藤は見たくない。
「うん。お前が電話くれたろ。だから危ねェなって球場向かったら案の定だ。隕石のヤツァ彼女めがけてまっ逆さまよ。代打近藤でお願いします、なーんて心のバッターボックスに、立ったまではよかったんだが、生憎ホームランたァいかなくてよ。……ファールした隕石が結局お妙さんに当たっちまって、このざまだ」
「隕石打ち返すとか、アンタどんだけスゲーんだ」
 考えられねェ、と煙草を吹かしながらも土方の目が笑っている。
 隕石が球場へ落ちるらしいと連絡を受けた時は確かに近藤の心配をした。球場付近にいないのなら僥倖、この人の心配はせずに済むと自分自身に言い聞かせた。
 それでも。
 諦めるのはまったく近藤らしくない。約束をすっぽかすなどもっての外だ。
 それだけの目にあいながら子供達の相手をし、引きこもりを治し、記憶喪失を治し、家族に笑顔を取り戻した。それはなんと強靭な胆力と人徳だ。
 それでこそ俺の惚れた男だ、と土方は嬉しくなる。最後はちゃんと駆けつけて、不運なんてものは弾き返す。その為にテメーの体を張る。
 それが近藤勲という男だ。
「スゲくねーよ。ファールだもん。スターならあそこでホームランだもん。ファールでアウトなんだもん」
 言って拗ねた様子で唇を尖らせた近藤の頭を、土方はいつも近藤がしてくれるように軽く叩く。
「大丈夫、打順はまたくるって」
 これ以上ないと思う程惚れていた男に、驚いた、また惚れ直したと土方は満足げに笑った。







本誌・「お妙さんと野球観戦」話より。

嫉妬しない土方、とおっしゃっている方がいて、
ウチのトシさんも嫉妬はせんなあ、ウチの人たちだとこんな感じだなあ、と。
近藤さんが、真実お妙さんをどう思ってるかは、
すんごく長くなりそうな、三行で終わりそうな、そんな微妙な感じでまた別の話。

あ、小林は関係ない。と、本文中に入れられなかったツッコミは各自で補完よろしく!

10.06.25.UP