「ちょうだい」


「……寒っ」
 思わずといった風情で呟きながら、近藤が酒を持って土方の部屋へ戻ってくる。
 現在師範が出稽古に回っており、大きさだけは立派だがなにぶん古い道場脇の母屋では、食客という名の居候土方が、夜になり厳しさを増した寒さに眉間へ皺を寄せながら、手あぶり火鉢に向かい、掻巻の前をきつく合わせ近藤を待っていた。
「うー。寒ィ寒ィ寒ィ」
 ジャンケンに負け使いに立っていた近藤は、狭い四畳半の土方の部屋で、わざわざ持ち込んだ自分用の掻巻に包まり直して、なけなしの火鉢で暖を取る。
 はじめの内土方も、それくらいなら火鉢ごと持って好きな部屋へ行けと言ったが、遠慮して一番狭い部屋に陣取った自分に、近藤は「この部屋が一番狭くて暖まりやすい」と言われると仕方がなかった。
 それに確かに一人でいるよりは寒くなく、気も紛れる。
「こう寒くっちゃ、いっそお前のお命ちょうだい、だな」
 言って近藤が行灯と手あぶりの薄灯りの中、ふふ、と鼻先で小さく笑った。
「……アンタまさか、懐までも寒いからって辻斬りだの押しこみだのと」
 この頃では土方も、近藤や、それを取り囲む道場の空気に随分慣れ、会話も増えてきていた。綺麗で優しい顔とは裏腹、同世代の気安さから近藤と二人きりの時には軽快に、洒落のきつい憎まれ口も叩く。
「ハァ? 何言ってやがる人聞きの悪ィ。ボロは着てても心は錦、この、男・近藤痩せても枯れても、って、ああ。お命ちょうだいか?」
 風の音以外聞こえない、静まり返った屋敷の暗闇と寒さを吹き飛ばすよう鼻息荒く場を盛り上げる途中、近藤がぱっと笑った。
「ふぐだよ。ふぐ。こんな冷え込む晩はよ、ふぐ鍋でちょいと一杯、オヤお兄さんイケる口だね、ささもう一杯。かたじけない、ではご返杯といこう。ヤだよゥお武家さん、そんな硬くなっちゃってさァ。ちょいと憎めないイイ男じゃないかェ。……と。こうなる訳だよ。いいと思わねェ!? ふぐ!」
 裏声に加え、掻巻から出した手で器用に酒を差しつ差されつ上機嫌の一人芝居を始めた近藤に呆気に取られていると、勢い込んだキラキラした目で顔を覗き込まれた。
 それに堪らず土方が、ぶふ、と俯き噴き出したせいで小さく火鉢の灰が舞い上がる。
「ばっかお前何やってんの」
 顔の前で手を振り回し、灰をよける近藤と共に軽く手を振り灰を追い、土方がからかうように笑う。
「目的。ふぐじゃなくなってんぞ」
「おお? まァな。ふぐも女もいねェ変わりに今宵はお前と雪山ごっこ、てな。オイ、まだ寝るんじゃねェよ。寝ると冷えるっからよォ」
「雪山にしちゃ重畳だ。濡れちゃいねェし火もあるし」
 手あぶりに指をかざし、ひっきりなしに擦り合わせながら土方も頬を緩めた。
 上等とは言えないがまめに陽にあてた掻巻は、多少綿がへたってはいるが十分暖かい。近藤の道場にやっかいになる身、土方にも金があるとはいえなかったが、以前自分が過ごしてきた、喧嘩家業の根無し草のような暮らしを思えば、まさにここは極楽だ。
 自分のような愛想のない男がこうしてひとつところで冬を越そうと腹を決める事ができたのも、分け隔てのない近藤の、懐っこい性格に寄るところが大きい、と土方は思う。先程も、飲むなら自分が酒を取ってこようと言うのを近藤が「ジャンケンだ」と笑って拳を構えた。そんな気遣いに、口に出しはしないが感謝している。
 無駄話をする内に、火鉢に置いた五徳に乗せた鉄瓶が、ようやくシュンシュンと音を立て始めた。
 近藤は脇から取り上げた二つの湯飲み茶碗にそれぞれ酒を入れると、手拭い越しに持ち上げた鉄瓶から湯を注ぐ。
「ホレ」
 角型の火鉢の縁に、土方の分と湯で割った酒を置いた。
「ありがとよ」
 世話焼きの近藤に軽く礼を言うと土方もそっと湯飲みを手にする。
「あち」
 すぐに飲んでしまうのが惜しいと暫く両手で包み暖を取っていたが、冷める前にと一口すすれば、ぽっと胃の腑に火が灯った。
「アンタと心中なんて、ぞっとしねェな」
「あん?」
「ふぐ」
 ああ、と合点のいった顔で頷くと、近藤はゆっくりと酒をすすった。
「死なぬかと 雪のゆうべに 下げてくる、てな。……オメー、ふぐは恐ェかよ」
 流行の川柳に節を付けて呟くと、近藤は湯飲みの白い湯気の向こうで目を輝かせながら土方を試すように微笑んでみせる。
「恐ェもなにも、絵に描いた餅……なんだってーと「饅頭恐い」か? ひょっとして師匠、今頃ふぐ釣りか? 明日の夜にゃァふぐ鍋か? え、オイ楽しみじゃねェの」
 土方が、この場限りの与太話だとわざと嬉しそうに調子よく言えば、近藤も更に機嫌よくからからと笑う。
「アンタふぐが恐けりゃ、まず俺に言え。先に、ちゃんと毒見してやる」
「……そうやってオメー、鍋全部一人でさらっちまう気だろ」
「はは、しゃらくせェ」
 互いに軽口を叩く内、近藤が、ひょいと土方の前髪を手慰みとつまんで言った。
「近藤道場の土方さまが、俺にお命ちょうだいとばかりふぐ食わされておっ死んだ、なーんてなったらここいらの娘っ子は卒倒しちまわァなァ」
 顔を振り、近藤の手を避けながら土方は口を笑いに歪める。
「……同じ白身でもふぐよりゃ豆腐か、大根にしとけってこったな」
「違いねェ」
 俺の命なんざどうせ大した値打ちもねェよ。ちょうだいなんて言わずとも、アンタにゃいつでもくれてやる。
 それを口にすればまた目の前の気のいい大男は、やいのやいのと説教するだろう。折角のお湯割りも取り上げられ、道場の板の間に正座させられるかもしれない。
 だからこいつは言えねェな、と土方は小さく微笑み、両手で包んだ湯飲みの酒を、く、と呷った。




おねだりで10のお題 7.「ちょうだい」

作中の川柳は「江戸古川柳」で検索すれば色々出ます。
有名な出典は杉浦日名子さんの「風流江戸雀」
面白いです。

寒くて寒くて書きました。

10.01.05 UP