キャンデイ



 バスケの練習が終わったあと、田岡はキャプテンである仙道を呼び、明日からの練習メニューなどについて少しの間打ち合わせをした。
 晩秋の太陽はとうに傾き、姿を消している。打ち合わせ自体はそれほど時間もかからなかったが、筆記用具を片づけ始めた仙道に、田岡はなにげなく尋ねた。
「どうだ仙道。ちゃんとメシは食ってるか」
 田岡がスカウトした選手の中で、越境で一人暮らしとなってまでも陵南バスケ部へやってきた者は仙道が初めてだった。その為、田岡はこうして時々、仙道を気遣う様子を見せる。
 その言葉を聞いた途端、仙道はにっこり笑って一足先に立ち上がった田岡を見上げた。
「ああ。……オレ、焼肉がいいです」
「まだ何も言っとらん」
「えー? 奢ってくれんじゃないんですか? 肉ー肉ー食べ放題ー」
 適当な節をつけて歌うように言いながら田岡の隣に立ち、仙道が顔を覗き込む。期待に目を輝かせた仙道の悪びれない顔に、田岡は仕方ないと肩の力を抜いた。
「まったく。お前な、肉もいいが野菜もちゃんと食ってるのか?」
「食べてますよー。今オレん中で空前のキャベツブームですよ。キャベツの千切り食ってると、なんかまともな食事したって感じになるじゃないですか。そういや、アメリカ人ってフライドポテトと米は野菜で、ヘルシー扱いらしいっすね」
 白い息を吐きながら田岡の車に乗り込み、仙道が笑う。
 大きな体と長い脚を持て余し気味に助手席へ腰かけた仙道が、座席の調整をするのを待ち、田岡は車を走らせた。
 体育会系の男子高生ともなれば、好きに食事をしろといえば焼肉がいいと騒ぎだすのはいつものことだ。それでも仙道もそろそろ家庭料理を恋しがるかと、田岡はうまい飯屋を見つけていたが、そちらへ連れて行くのは当分先になりそうだ。
 教師であり監督でもある自分と二人になると、たいていの生徒はどこかしら落ち着きをなくし、年齢も立場も違う者同士で会話が続く訳はないと決めつけ、不自然に口をつぐむ。
 対して仙道は決しておしゃべりではなかったが、かといって緊張して黙り込むこともなく、ただ嬉しそうに焼肉を口に運んでいる。屈託がない。
「監督、ちゃんと食べてます?」
 仙道は実際、よく食べた。見ている方が気持ちよくなるような、すがすがしい食べっぷりだった。
 手際よく肉を焼いては空になった皿を重ね、白飯と一緒に肉を食べ、次の皿を注文する。
 食べ放題の元が取れそうな旺盛な食欲に、田岡は改めて、自分も歳を取ったと感じた。
「食べてるよ。高校生の食欲と一緒にするな」
 田岡が笑うと仙道は、「こっち、焼けてますから」と金網の端に焼けた肉を寄せる。
 学内のみならず、県下において陵南に仙道ありと名の知れた天才は、自分にかけられた期待に腐るでもなく、威張るでもなく、後輩たちに対してもさりげなく面倒見がいい。
 誰かの悪口を言うでもなく、特段愚痴をこぼすでもないが、堅苦しい訳でもない仙道の漂然とした姿と圧倒的なプレイに、陵南のバスケ部員たちは、自分だけが負けてはいられないと、厳しい練習も食らいつく。
 夏で魚住が抜けたのは痛かったが、仙道がキャプテンとなった今こそ、陵南高校の名を全国に知らしめる時だと思う。
 そんな風につい熱くなり、理想や空想が入りがちになる田岡のバスケ話を、仙道は上手く相槌を入れながら聞く。
 特定の生徒に目をかけるなど、言語道断。そう理性で判っていても、仙道という珠玉を磨き、育つ姿を見守れるというのは、指導者としてこれ以上ない喜びだった。



「ごちそうさまでした。……ねぇ、監督」
 食事を済ませたあと、車に乗り込もうとした田岡の傍に仙道が立ち、顔を覗き込むように軽く背を丸めている。
「ん?」
 運転席の扉にかけていた手を一旦離し、田岡が仙道を見上げる。と、仙道は田岡の体を腕の間に挟むようにして車へ両手をついた。
 その姿勢でそっと顔を近づけてくる仙道に、なにか内緒話かと戸惑いながら田岡が眉根を寄せる。
 すると仙道はいかにも楽しげに、にっこりと笑ってみせた。
「キス、しましょっか」
「は?」
「キス」
「なっ……?」
 あまりに唐突な言葉にぼんやりとした田岡から、仙道はひょいと体を離してまた笑う。
「……と、思ったんですけど、やっぱやめときます」
「ばっ、バカモン!」
 怒鳴ると同時に手が出ていた。自分よりはるかに高いところにある仙道の頭を、ごつんとこぶしで殴る。
「いってぇ!」
「うるさいっ。騒ぐな、とっとと車に乗れっ」
 教師と生徒で、男同士で、愛情もなく、軽々しくキスだと。どこから考え直させればいいのか判らない。まさかコイツ、普段からそんなことをして遊んでいるんじゃないだろうな。
 頭から湯気を出すように怒りをふつふつと滾らせる田岡を尻目に、仙道は殴られた頭をさすりながら、素早く助手席へ回り込み車へ乗った。
 仕方なく田岡も乗り込み、とりあえず仙道を送って行くべく車を走らせる。
「いいか、仙道お前な、」
 とりあえず説教だと、動揺し、言うべき言葉も見つからないまま喋り出した田岡の声に被せるようにして、仙道がにこにこと口を開く。
「えーっと。今オレがキスやめたのは、先生と生徒とか、そういうんじゃないですよ? 外だったからとか、性別も関係なくて、年齢差とかも抜きで、あ、結構オレたち障害ありますね」
 わざわざ指折り数えながらしゃあしゃあとそんなことを言ってのける仙道の口をふさぐ為に、もう一度拳骨をお見舞いするべきだろうか。
 運転中でなければ確実にもう一発、と田岡は見えてきた信号がいっそ赤になり停車できることを願った。
 そんな田岡をどう見ているのか仙道は、のんびりと澄ました声を出す。
「ホラ、焼肉のあとでキスはあんまりだって言うでしょ。だからです」
 言うと仙道は、レジのところでもらったキャンディを口に入れた。
「監督も、ハイ」
 仙道はもうひとつのキャンディの小袋を破り、田岡へと差し出す。憤然としたまま受け取り、口に放り込んだレモンキャンディの甘さは焼肉のあとに合わないような気がしたが、一度口に入れてしまったものを吐き出すほどではない。
 悪びれない仙道の様子に、怒りの矛先をうまくかわされてしまった。それでも未だ割り切れない。
「という訳で、監督。オレ次も焼肉がいいです。そしたら今度も、キスしましょうって襲っても、ホントにはしなくてすみますから」
 助手席の仙道が、上背を軽く丸めて田岡を横から覗き込む。ちらりとそちらに目をやった田岡は、にこにことした笑顔につられたように噴き出した。
 なんだ。それが本心か。そうやってまたの機会を狙っていたのか。何事かと思えば、くだらない。理由が判ればほっとした。
 しかしその為に大人をからかうのはけしからん。
「よぉし。焼肉分はしっかり働いてもらうからな。仙道は元気があり余っとるようだ、明日からロードワーク追加するか」
 すべての決定的な、覆せない理由には目をつぶり、どうでもいい焼肉のせいにして自制する仙道の心中など知らずに田岡が笑う。
「えー?」
 それはちょっと、と困ったように笑う仙道の口で、飴玉がカラコロと鳴った。




仙道は田岡さん、好きだよね。

12.11.17.UP

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