なかよし



 今日は疲れた。精神的に。もう駄目だ。ここ最近ずっとこうだ。もう駄目だ。アタシもうじき駄目になる。これはイカン。イカン、イカン。
 しょうがないからオレはくたくたの体を精一杯スマートに動かして、自分の家には戻らずに、たまに利用するデカいホテルで、ツインの部屋を取る。疲れた時こそリズミカル。誰の言葉だっけ。
 部屋に入ると上着だけ脱いで、時計を見ながら電話をかけた。夜の十時過ぎ。まだ寝ちゃいねーだろうけど。
 コールの音が、一度、二度。早く出ろ。嫌な不安だけが湧き上がる。早く。頼むからさ。念じていると通話が繋がった。
「福田? オレだけど」
 緊張が溢れないよう抑えた声を出すオレに、低くかすれた声が聞こえた。
「仙道」
 受話器越しのその声に、ほっとする。手の平の汗をそっとズボンで拭った。
「うん。な、福田。出てこいよ」
 オレの誘いにあからさまなため息が聞こえる。電話の奥ではなにか、テレビのものらしい音が聞こえた。
「……今からか」
 呆れたような声に気づかない振りで「うん」と元気に答えると、今いるホテルの部屋番号を告げる。
「じゃあな」
 言うとオレの方から電話を切り、財布だけを持ち部屋を出る。
 福田はきっとくる。こなくてもいいけど、きっとくる。そう考えて近場の店で、大量の酒と適当につまめるものを買った。
 何か月かに一度、待ち合わせて飲むことはあるが、こうして強引に福田を呼び出すのは久しぶりだ。でも、初めてじゃない。
 最初は彼女の誕生日に、このホテルに部屋を取ったんだった。当日までに振られ、キャンセルを忘れていたオレがヤケを起こして一人できたら、部屋には花まで飾ってあった。
 そうか、予約を入れた段階のオレは、こんな用意を頼む程彼女が好きだったのか。考えてみたけれど、その頃の気持ちがあんまり思い出せない。それどころか彼女の記憶すら曖昧だった。
 花瓶の花を見ながら飲んでいる内に、どうせツインの部屋なのだからと福田を呼び出した。
 学生時代と同じで、福田はあんまりしゃべらない。けれど素直にきてくれた福田も、花には驚いていた。その顔が面白くて、オレはルームサービスでシャンパンまで頼んでやった。
 それが楽しかった。
 以来時々、本当に頭が焦げ付きそうになると、オレはここに福田を呼び出す。
 ホテルに戻ると、買い込んだ酒を早速一本開けた。それで少し気が緩んで、ああ、オレは今ドキドキしていたんだなぁと変な実感がわいた。
 福田はきっとくる。くるとはっきり返事を聞いた訳じゃないけど、多分くる。
 こなくてもいい。福田にと思って買った酒も全部飲んでやる。そんな最低な一人の夜には慣れている。誰かに期待しすぎちゃ駄目だ。オレは賢いからそんなこと、とっくに知っている。
 いきなり呼び出されて迷惑だろうことは、判る。だからこなくても仕方がない。そんな言葉で自分を慰める覚悟はできている。
 くるかどうか決めるのは福田だ。だからろくに返事も聞かずに電話を切った。丸投げだ。さあ好きにしろ。呆れて放り出してくれてもいいよ。どこかでそう思いながら、現れるのを祈ってしまう。
 こういう気分は落ち着かない。半分飲んだ缶の残りを一息に呷り時計を見る。福田がくるまで、もうしばらくはかかるだろう。
 動いていないとそわそわするから、オレは先に風呂へ入った。
 今日は花の用意はねーけど、こんなことなら部屋中に飾って、花びらブチブチむしりながら「くる、こない」ってそんな占い、乙女チックなんだか野蛮なんだか判んねーよ。
 そんな下らないことを考えて、どうにか気分をかえようとする。
 油断すると面倒な現実ばかりが浮かんでくる。うるさい。嫌だ。もう今日は考えるのはヤメなんだ。
 オレは沈みそうになる気持ちを懸命に切り替える。
 福田はくるかな。
 うん、同じ考えるんでも福田がくるかどうか考えている方がずっと楽しい。こなけりゃこないでいい。くるまで待つって楽しみもあるし、次あった時に「寂しかったわ」なんてふざけたりできるかもしれない。オレの性格じゃ多分できねーけど。でも考えるだけならタダだから、いいや。
 なるべくバカなことを考える。福田に会って話したいことを考える。それ以外は考えない。
 風呂を上がると、福田がきてくれた時の為にバスルームをざっと拭いて、バスローブを着る。
 福田に笑ってもらう為に、ブランデーグラスでも用意しとくべきかな。
 次の缶を開ける。
 テレビをつけてチャンネルをいくつか回したが、どれも見たくない。いっそ有料チャンネルで思いっきり下らないトンデモエロでも。そう思った途端にまた、考えたくない現実が襲ってきそうで、慌てて思考に蓋をする。
 カーテンをめくった窓際に立って飲みながら、まだ明かりがついているビルやテールランプを眺める。
 あの明りの下に一人以上の人がいて、笑ったり泣いたりしてるんだなって言ったら昔、不思議がられた。あれは夜景を見に言った時。デートスポットで有名な夜景だったけど、じゃあ他の人はみんな何考えて夜景を見てるのって尋ねたら驚かれた。
「見て、ただ綺麗ってそれだけよ」
 そうなのか。よく判らなかったけど、これ以上情緒欠陥人みたいに思われるのは嫌だなって、クリスマスツリーの電飾みたいなものかって、適当に返事をした。
 あの時一緒だった子は、今、どうしてんだろう。
 次の酒を飲みながら、少しずつ自分が溶けていく気がする。
 足元からぐにゃぐにゃになってドロドロになって、それで、どうなるんだろう。歪んだ形でカチコチに凍って、そのままギクシャク動くんだろうか。ギギギ、ガーガー。そんなのヤダなぁ。
 どうせならくらげになりたい。くらげになってハワイに行こう。だけどハワイはサメがいるから。サメってくらげ食うのかな。くらげは駄目だ。サメに対抗するにはもっとこう、目からビームとか出ねぇと。
 軽薄なことを連想ゲームのように次々考えて、酒だけが進む。そうする内に部屋のチャイムが鳴った。
 いつの間にかぼうっとしていたオレは弾かれたみたいに顔を上げ、それからドアまで行って魚眼レンズを覗き込んだ。
「いらっしゃい」
 姿を確認して意気揚々と扉を開けたオレに、福田が小さな白いビニール袋を差し出す。
「なに? くれんの?」
 部屋へと進む福田に続きながら袋を覗くと、コンビニで買ってきたものらしい裂きイカとビーフジャーキーが入っている。
「酒。冷蔵庫の、好きなの飲んで」
 声をかけるかどうかの段階で福田はさっさと冷蔵庫を覗いている。
 来てくれて嬉しい。お前いいヤツだな。嬉しい。なんとなく賭けにでも勝った気分で、ウキウキする。
 福田はオレが呼び出した理由を、尋ねてこない。言えば多分ちゃんと聞いてくれると思う。でも、言わずに済ませられるならそれがいい。
 福田には、弱って愚痴を吐く仙道よりも、バカでわがままで気まぐれな仙道と思われていたいじゃねーの。
 とりあえず発光クラゲの、発光部分を目玉に集めるまではなんとか脳内で進化させたんだけど、ビームとまでなると難しいよなって、そんな話をした。
 普段光らず、暗闇でここぞとばかりに光を出せば、フラッシュ程度の目くらましになるんじゃないか。
 福田の答えにナルホドと頷き、くらげ最強への道、超進化編はそこで終了した。
 そのあとも、似たり寄ったりの下らない話題で盛り上がる。
 結構いいホテルの部屋で、男二人向かい合って飲みながら話すことかよっていう、そんな場違いな部分もおかしくて、気分がどんどん浮上する。
 福田は、すごいなあ。福田のお陰だ。感心して思わずうっとり眺めていたら、福田は軽く溜息をついた。
「わざわざ部屋なんか取らなくても。家に呼べばいいだろう」
 確かに福田んちからは、ここにくるのもオレの部屋にくるのも似たような距離と時間だろう。
「そんなことしたらお前が帰ったあと、ああ昨日はここに福田がいたのに、おとといは福田がいたのになって、寂しくなっちゃうでしょ?」
 唇を尖らせて、オレは投げキッスをひとつ送ってやる。嫌そうな顔で、バカだって呆れてくれたらいい。
 福田は軽く眉をひそめて、酒を呷ると裂きイカを口へ放り込む。新しい缶を取り出した福田に飲みかけの酒で乾杯をして、いい感じに酒が回る。
「オレはお前ほど器用じゃない」
 少し赤い顔で福田が言った。
「うん」
 知ってる。でもそれは福田が特に不器用って訳じゃなくて、オレが器用なだけだから、気にすることじゃねーよ。あ、でも福田はやっぱちょっと、不器用な方かも。そこがいいんだ。器用な人間なんて自分で見飽きてるから、お前はどうか、そのままでいてね。
 口には出さず、笑って頷くオレに、福田が言葉を続ける。
「でも、器用な人間には悩みがないと思うほど、オレはバカじゃない」
 じっと真っ直ぐに見つめられて、困った。
 頬が赤いだけじゃない。福田は、目だって酒でトロンとしている。酔っぱらいめ。酔っぱらいのくせに。
 胸の奥の見えない感情ってものを、直接触れられたような気がした。
 なにかがこみ上げる。オレ、泣くのかな。泣くのは嫌だな。そう思って息を大きく吸うと、もう泣きそうな気持ちなんて引っ込んで、かわりに笑みが浮かんでくる。
「福田。格好いい」
 オレの適当な褒め言葉に、福田は何度も頷いている。
「知ってる」
 そのセリフにオレは、小さく声を上げて笑った。
 楽しい。よかった。今日、福田に会えてよかった。オレ、福田に会えてよかった。
 いい気分が湧き上がる。オレはケラケラ笑いながら、福田のことを褒め続ける。
「すごい。さすが。男前。福田、天才。格好いい」
「おう」
 ビシッと親指を立てオレの声援に応えると、福田はふらりと立ち上がり、ベッドに横たわった。
「もう寝んの?」
 一応声はかけてみたけれど、いい頃合いかな。オレも眠くなってきた。
 目を閉じたまま黙って頷く福田の素直さが嬉しくて、もう少しだけからかいたくなった。
「な、一緒に寝ようか」
 言いながら、福田のベッドに膝を乗せる。
 清潔なデカいベッドが二つあるっていうのに、なんの因果で大男が、二人寄り添って寝なきゃならないんだ。そう言って笑ってくれりゃいい。
 面倒くさそうに瞼を開けた福田に、とっておきの笑顔を向ける。
「いいじゃん。ほらそっち、ちょっと詰めて。なんにもしねーって。……それとも、なんかした方がいい? あ、お前がオレにする?」
 福田はオレに、なにも求めない。だから、好きだ。したいことしていいよって言いたくなるくらい、好き。好きなようにされてもいいかなって思うくらい、好き。
「……して欲しいのか」
 手がかかるとでも言いたげに、福田がベッドにスペースを作り、溜息と言葉をこぼす。
 するならするで構わない。してもいい。酒のせいじゃなくそう思う。福田が欲しがるものをオレが持っているなら、なんでもあげたい。福田に欲しがられるオレは、多分幸せ。
 だけど。
 本当は、心の中の、一番弱くて剥き出しの部分で、誰にも聞こえないようにそっと、念じ続けている。
「んー? 福田がしてーならね?」
 少しだけ挑発するみてーに微笑んで、福田の顔を見つめれば、頭に手を置くようにして、ゆっくり何度も撫でられた。
「いらない。お前とは、しない」
 その言葉に、オレの頬が緩む。
 この期に及んで、なにがあったと聞かない福田が好きだ。
 オレを欲しがらない福田が、好きだ。
 体を繋げる関係は、判りやすくて簡単で、居心地がいい。相手と少しだけ特別で、親密になれる。甘えたり甘やかしたりしても許される気がする。そんな関係も、好きではある。
 だけど福田はそんなことをしなくても、拒絶せず、欲しがらず、ただ傍にいてくれる。
 オレからなにも奪わない。それが嬉しい。
 そんなの、福田だけだ。
 福田がオレに、欲情しませんように。
 それは誰にも内緒の願い事だから、声に出さずに祈っている。抱かれたってきっと平気だっていうそれは嘘じゃないけれど、福田はオレに、欲情しませんように。
 オレが福田のことを、唯一の人じゃなくて、ただの友人の一人に格下げせずに済みますように。
 気づくと隣からはすぅすぅと、規則正しい寝息が聞こえてきた。
 もう駄目だ失踪しようって、目についたバスで終点まで行ってみようってそんなことを考えていたささくれた気分が随分と楽になった。
 オレのストレスにつき合わされる福田は、いい迷惑だ。判っているから、ちゃんとしよう。
 明日から、目を開けてからはまたもう少し頑張って、福田に嫌われないような男でいる為に頑張ってみよう。
 そんな気分になれただけでも奇跡だ。万歳。今日はもしかして最悪じゃないのかもしれない。サンキュー福田。明日は一緒に朝飯に、ホテルのふわふわオムレツを食おう。
 酒で重い瞼を閉じたまま、そんなことを考えながら、オレもいつしか眠りについた。





13.7.13 UP

2013年の7/13ですよ。7と13は仙道と福田でウハウハですよ。
そんな感じで頑張ると、こうなった。

仙道にとっては、恋より貴重な友情。
福田なら。それでも福田なら受けとめてくれる…!
そういう目で福田と仙道を、これからも見つめます。

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