幻想・少年A 仙道と流川 


 
「ナイッシュー」
「いいぞ、その調子。レイアップは完璧にな」
「おらそっち一年、次、二人ずつ組んでバウンドパス。とっとと走れー」
 夏休みの陵南体育館では、そんな声とボールの音、バッシュの悲鳴が汗とともに溢れていた。
 今年はと監督の田岡が力を入れていたにも関わらずIH出場を逃した陵南は、既に三年の主軸だった魚住や池上たちが引退している。
 その分、次こそはと仙道や福田、越野たち二年生が中心になって新制陵南バスケ部が始動していた。
「アイツ、結構よくなってきたと思わねぇ?」
 田岡がいない練習で、越野が一年生の練習具合を見ながら隣の仙道に話しかける。
「そうだな、あれであとはシュートがもうちょっと決まるようになると頼もしいんだけど」
 言いながら目の隅で動いた気配に、仙道が開け放した扉を見ると、そこに長身の男の姿が見えた。
 夏の日差しを背に浴びた逆光になって顔がよく見えなかったが、目をすがめていると、越野が「流川?」と呟いた。
「あ?」
 そう聞いて見直してみれば、確かに流川がジャージ姿で立っている。
「てめーまたなんの用だよ、スパイか、湘北は一年をスパイに使ってんのか!」
 騒ぐ越野の声に、練習中の部員もふと足をとめ、扉の入り口を興味深そうに眺めている。
「えっ流川くん!? 全日本ジュニア、合宿終わったんや!?」
 彦一が汗にまみれながら出した大声に反応したように、そちらをちらりと眺めた流川は、ジャージの前を両手で大きく開いた。
「おおお……」
 そこに現れたオールジャパンのユニフォームに、陵南のバスケ部員がどよめく。
 仙道としてもさすがに呆気にとられてその様子を眺めていたが、やがて流川の鋭い目が自分を見つけて手招きする姿に、戸口へと近づいた。
「なんか用か」
 夏休み中とはいえ他校の中まで入ってきたのだ、よほど重要なことでもあったのだろうか。そう思い傍へ寄ると、流川は全身から汗を噴き出している。
「なにお前、すげー汗だぞ。走ってきたの?」
 目を見開いた仙道の言葉に、流川は頷きながらジャージの袖辺りで額の汗を拭った。
「これ」
 言葉とともに、流川はポケットから取り出した白く小さな袋を仙道へと差し出す。
「なに?」
 仙道が顔を窺えば、流川がひとつ大きく頷いている。受け取れというのだろう。
 気がつくと背後では、さっきまであれほどやかましかった音がやんでいた。
「ほらみんな、足とまってんぞー。流川に見とれてんなよー」
 振り返った仙道は部員に声をかけたあと、その小さな包みを受け取った。白い包装紙は流川の汗で、しっとりと湿っている。
 流川という男は圧倒的に言葉が足りない。その為に仙道の方から聞いてみた。
「……くれんの?」
 なんだろう。開けていいのだろうか。
「世話になったから」
 顎を出すように軽く頷いてみせる流川の様子に、仙道は袋の封を開けた。
 中から出てきたのは親指ほどのサイズの、しゃもじの形をしたキーホルダーだった。
「なにこれ」
 思わず口をついた仙道の言葉に流川が答える。
「土産だ」
「はぁ? ……あ、インハイの? 広島?」
 尋ねると流川はこくりと頷く。
「へえ……。よく判んねぇけど、ありがとう。なに、湘北って宮島観光とかもしたの?」
 それには首を横に振る。
「駅で。あったから」
「ああ、そうなんだ、うん」
 なんでこんなものをいきなり渡されたのか、わけが判らず戸惑ながらも仙道は「お、必勝って書いてあるぞ。なに流川お前、冬は陵南の応援に回るか?」と軽口を叩いた。
「ちがっ、……沢北!」
 なにか言おうとしたらしい流川は、別のことを思い出したとばかり目を見開き、仙道を指差す。
「あ?」
「沢北じゃねーか、どあほう」
「……なにが?」
 なんの話だと目をぱちくりさせる仙道に、流川は言葉足らずながらもぽつぽつと、これはIH前の1on1で世話になったと思って買ってきたものらしいこと、北沢ではなく沢北という名のスーパーエースがいたことなどを話した。
「沢北。そうそう、なんかそんな名前だった。え、オレ北沢って言った? そうだっけ?」
「ソウダ」
「そっか。で、どうだった。全日本にはそんな名前のヤツ選ばれてなかったろ」
 仙道が顎をしゃくるようにして相手のユニフォームを示すと、流川はフンと鼻を鳴らす。
「アイツは……アメリカらしい」
「へぇ。そりゃすごい」
「オレも行く」
「えっそうなの、すげーな! いつ? やっぱ全日本で試合かなんかで?」
 目を丸くした仙道に、流川は首を横に振って指を突きつける。
「お前を倒してから、行く」
「それは……ウィンター杯のあとってこと?」
 いぶかしりながらも仙道は、努めて冷静に尋ねてみた。すると流川の目が剣呑に光る。
「勝負しろい」
「今かよ?」
 冗談だろう、と仙道が軽く肩をすくめた。その様子に流川がふぅと大きく息をつく。
「今じゃなくてもいー。でも、お前には負けねー」
「そう? オレだって負けねーよ。ほら、必勝のお守りもあるし」
 仙道は指先に引っかけたキーホルダーを揺らして不敵に笑う。流川は咄嗟に、返せとばかりに手を伸ばしたが、仙道はすかさずそれを背中へ回して奪われるのを阻止した。
「オレにくれたんだろ?」
 軽く腰を落とし、試合中のように上目遣いで笑う仙道をしばし無言で睨みつけると、流川はジャージの肩口で汗を拭いながら、諦めたようにきびすを返す。その背に仙道が声をかけた。
「流川。陵南きてて倒れたとか、シャレんなんねーし」
 ちょっと待ってろ、と言って仙道はベンチのウォータージャグからスポーツドリンクを汲んできて渡す。一気に飲み干した流川の額からはまた汗が噴き出した。
「……ウス」
 空になった紙コップを仙道へ戻すと、流川はぺこりと会釈のようなお辞儀をして今度こそ背を向けてジョギングのペースで走り去る。それをなんとなく見送った仙道が紙コップを捨てようと近づいたベンチで、越野が「流川、帰ったのか?」と尋ねた。
「うん、多分」
 そもそもの流川の用事がよく判らない為に、それが済んだのかどうかすら仙道には理解できなかったが、あれは帰ったということなのだろう。
「で、なんだって?」
「オレが聞きたい」
 仙道が肩をすくめて手に乗せたキーホルダーに目をやると、隣から福田がその手の中を覗き込む。
「必勝だって、必勝。次は勝とうぜ」
 流川のことだ、大した意味はなく目についたものを購入したのだろうが、あの無愛想な男が礼を言いにきたというのがなんだか面映い。
 つい軽口のようになった仙道の口調も気にせず、福田は大きく頷いた。
「当然だ」
 その力強さが、思った以上に仙道を満足させた。にっこり笑うと、仙道は上げた腕をストレッチのように伸ばす。
「よーし、じゃあ今日は監督いねーしこのあとハーフタイムで試合形式にしよっか」
 どう? と越野を見下ろす仙道の目が悪戯そうに笑っている。練習メニューは一応決まっていて、今日はそんな予定はない。
 越野が答える前に福田がじっと仙道を見る。
「今日こそはオレが勝つ」
「嘘ぉ。福田、一緒のチームでやろうよ。パス回すからさ」
 それなら、と福田が考える素振りをみせるのを越野が小突く。
「ばーか、お前らがチーム組んだら誰がとめんだっての。福田はオレと一緒に今日こそ仙道とめんだよ」
「ひっで。いいもん。オレ植草からパスもらうもん。チーム組もうぜ。なっ」
 笑いながら仙道が植草の肩を組んだ。
「よし。じゃあチーム分けだな」
 全員共犯だ、とばかりに本日の練習メニューを無言の内に変更して、植草も笑う。
 仙道の手に握られたままのキーホルダーについた鈴が、チリチリと鳴った。




ご指導ご鞭撻を、が言える流川ならこういうのもありかなと。
基本、ジャージ見せびらかしにね。

12.09.02.UP

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