幸せなら手を繋ごう



「あー」
 汚れた場所を手早く拭うと、仙道は裸の体をうつ伏せて枕を抱え込んだ。
 情交のあとのけだるさに、そのまままどろみ始めた仙道の裸の尻を見て、ベッドの縁に腰かけた桜木は大きな溜息をつく。
「まったく。なんでこんな……」
 桜木の口からこぼれるぼやきに、仙道は徐々に本格的に重たくなる瞼を開き、そちらへ顔を向けた。さっさと下着をつけたあと、軽く肩を落としていた桜木が気配を感じたように再び振り向く。仙道と目が合うと、黙ったままの相手に焦れたように桜木は唇を尖らせた。
「なんだよ?」
「お前こそ」
 今の今まで機嫌よく肌を合わせてたのだ。それが、終わった途端に溜息では、仙道としても面白くない。
「うるせぇ。お前もさっさとパンツ穿け」
 言うと桜木は床に落ちていた仙道の下着を拾い、背中へ軽く投げつけてくる。
「えぇ?」
 面倒くさい。そんなのあとでいいだろう。そう言えば桜木はきっとまたぶつぶつと文句を言うんだろう。けれども素直に従うのも癪だ。大体ここは自分の部屋だ。家主の自分が気に入らないならさっさと帰ればいい。
 週末の今日は桜木が泊まっていくと慣例で判った上で、仙道はそう思う。だから自分の下着は無言でベッドの脇へと投げ落とした。
 桜木の眉がぴくりと動く。
「なんだよ。桜木、もうしねーの?」
 わざとにっこり微笑んでやれば、桜木は言い返す言葉を探すようにこぶしを握り、口を引き結んだ。
 殴りかかってくるだろうか。言葉が見つからない時の桜木は要注意だ。
 そんな風に笑みをたたえたまま警戒をする仙道の口から、くしゃみがひとつ飛び出した。
「バカヤロウ」
 慌てたように桜木は、横たわる仙道の足元に丸まっていた布団と毛布を引き上げる。抱き合った肌から汗が引き、表面が冷えている。
 熱くて死ぬかと思った最中が遠い夢のようだ。
 桜木自身も下着を穿いただけの裸体でごそごそと隣へ寝そべると、肩が出ていないか探るように仙道の体を抱き締め、布団の具合を確かめる。
 こちらを気遣う優しさに仙道は容易く機嫌を直し、桜木の為に場所を空けてやりながら、向き合うように寝返りを打った。
 顔半分が埋もれそうなほど柔らかな枕へ並んで横になり、じっと自分の顔を眺めてくる桜木を見つめ返していると、穏やかな気持ちが胸を満たす。
 散々はしたないことを言って、して、それしか考えられないバカになって互いを貪りあった。けれど同じだけの熱を分けあい登りつめた今は、どこか温かな空気が流れる。
 こういう瞬間は悪くない。
 満足した仙道が抱き締めようとした時、桜木は、再びの溜息とともに小声で呟いた。
「オリャー可愛い女の子と登下校ってのが夢だったのによう」
 その言葉に仙道は、伸ばしかけた腕の力を抜いた。
 またか。またその話か。何度目だ。
 ぐったりとくずおれるような仙道の心境など知らぬ気に、桜木は体を抱き寄せ、背中を撫でてくる。
 突き飛ばしてベッドから追い出せばいいのか。桜木がいると楽しい。温かい。いつもよりよく眠れる。だがもうやるだけやった。ベッドでもたっぷり運動した。桜木がいなくても充分よく眠れるだろう。
 ふつふつと湧き上がる怒りに、現実の仙道は目が覚めてくる。
 可愛くなくて悪かったな。そう冷静に指摘してやりたい。女の子でもないし、同じ学校でもない。それが今更どうした。
 確かにこういった関係に誘ったのは仙道からだったが、桜木だって満更ではなかった。でなければ週末ごとに仙道の部屋へ泊まって行くような真似はしないだろう。
 背を撫でる桜木の手つきが優しいことにすら腹が立ってくる。自分の言動が人を苛つかせていることにすら気づいていない証拠だ。
 そんな捻くれたことまで考えてしまう。そうして神経を尖らせる自分が嫌で、仙道はことさら優しく桜木を抱き締め、相手の鼻先でちゅっと唇を鳴らすと微笑んだ。
「月曜日。学校終わるの迎えに行ってやろうか」
「……なにしに?」
 唐突な申し出に眉を寄せる桜木を、仙道はしみじみと眺める。
 桜木はこちらが怒っていることなど考えもしないのだろう。単純な男だ。幸せで、おめでたい男だ。けれど自分は桜木のそんな部分に救われても、いる。憧れてもいる。
 だがこの場合はべつだ。少しだけ桜木を困らせてやりたい。
「手ぇ繋いで一緒に帰んだよ」
「誰と誰が」
「オレとお前」
「冗談じゃねぇ。なんでオレがオメーと」
「髪降ろして、帽子被って、私服に着替えてから行く。眼鏡もかけて行こうか。なんならマスク付きで」
 桜木を迎えに学校へ。きっとみんな呆気にとられるだろう。それを尻目に手を繋いで帰る。
 想像すると楽しい。周囲に笑われるだろうか。誰かは怒るんだろうか。目をそらし、自分はなにも見ていないと知らんぷりする人たちには、キスのひとつも投げてやろう。
 バカな妄想は愉快だ。適わないところがいい。
「なんだよそれ。変装のつもりか」
 目を丸くした桜木の顔を見ながら仙道は小さく息をついた。
「うん、まぁ。……それでも身長でバスケ部のやつらにゃバレるかもだけど」
 本当にはできるはずがない。捨てきれない理性がそう水を差す。
「その前に不審者で通報されんぞ」
「あ、オレ、アイマスク持ってるよ。それでどうよ。目隠ししたヤツの手ぇ引いてやるってなら、べつにそんなにおかしくねぇだろ」
 バカみたいな桜木の、バカみたいな憧れの話。違う。桜木はバカじゃない。素直なだけだ。だけどその憧れに半ば嫌がらせと冗談で混ざろうとする自分のバカさ具合はどうだろう。桜木の憧れの対象は、あくまで「可愛い女の子」だ。
 冷静になった仙道に、反動のように自虐が襲ってくる。
「目隠しの時点でアヤシイだろうが」
「そうかー? なんか聞かれたら罰ゲームですって言やぁ納得すんじゃね?」
 適当に言った言葉に桜木が本気で納得しそうな様子を見ると、仙道は軽く鼻息を鳴らした。
「お前、ムカつく」
「なに?」
「やることやって溜息ついて、挙句に女の子相手がよかったとか何様だよ。散々人にツッコんどいて、自分は楽しんでねぇなんて言わせねーからな」
 桜木の素直さが羨ましい。だから仙道も素直に、思ったことを口にしてみた。
「ちょっと待て。誰がそんなこと言ったよ?」
「あぁ?」
「おっ、女の子の方がいいとか、オレがいつ言ったよ!?」
「自覚ねぇの? ひっでぇ。言っとくけどオレ、生まれてから一回も女の子だったことなんかねぇからな」
「当たり前だろ! なんの話だよ?」
「知るか」
 くるりと寝返りを打ち、仙道は壁の方を向いた。これ以上は面倒くさい。桜木の胸の内をかき回してやって気も済んだ。
 もう寝てしまおう。
 そう思い瞼を閉じた仙道の背中に、桜木がそっと貼りついてくる。
「あのな。オレは可愛い女の子が好きだったんだよ。なのにオメーはオレと同じくらい背もあるしよォ。可愛げねぇし恥じらいもねぇし」
「今更だろ」
「だから。そんなお前となんでこんなことになってんのかって」
 それはこっちのセリフだ。そう言いたいところを、仙道はぐっと堪えた。
 好奇心。遊び。そんな気持ちで始めただけの関係にしては居心地がいい。けれどまだ、それだけだ。本気で惚れている訳じゃない。自分の体も魂も、自分だけのものだ。桜木には自分の意志で、時々体を貸してやっているにすぎない。
 だからこんなことも平気で言えるのだ、と仙道は再び寝返りを打った。顔が見たい。
 顎を引き、上目づかいで桜木を覗き込む。
「桜木」
 呼びかけで目線を仙道へ戻した桜木の腰へ、逃げられないように腕を回す。そうしておいて、ぽん、と言葉を投げつけた。
「すっげー……好き」
「ふぬ……っ!」
 途端目を見開き、見事に顔を赤らめた桜木に、仙道は満足だと頬を緩めた。
「お前は確かに、可愛げあるな」
 囁き、殴られる前に抱きついて唇をふさぐ。からかわれたと判った桜木は瞬間身を硬くしたが、されたままも悔しいというように重なる唇から伸ばされた舌を吸い、キスを返す。
 桜木もキスに慣れた。
 好きだと言ってキスをして、まるで本物の恋人同士のようだ。ちらりとよぎるその考えが仙道を愉快にし、気分を盛り上げてくれる。
 宥める為だったキスに必要以上に熱がこもる前に、仙道は唇を離した。
 目を開けた桜木は至近距離で睨むように仙道の瞳の奥を見つめたあと、ふと表情を緩め、ニヤリと口の端を上げた。
「仙道。……オレも、オメーが好きだぞ」
 その言葉に仙道は目をしばたたかせた。
 このタイミングでの告白は、どんな意味があるのだろう。さっき自分がからかってやったお返しだろうか。その言葉でこちらが照れて、頬を紅潮させるとでも思っているのだろうか。
 だとすれば、桜木はやはり可愛いし、甘い。
 にっこり笑うと仙道は、桜木の耳の辺りに手を置き、頬をそっと親指で撫でた。
「……知ってる」
「あ?」
「お前がオレに夢中でメロメロで、全然好みじゃねぇデケー男だって判ってても勃っちゃうくらいオレが好きってことだろ? 知ってるって」
 わざとあけすけに口にすれば、思惑が外れたのか桜木は、なにか反論したそうにまた唇を尖らせる。だがその唇が開く前に仙道は軽く桜木の耳を引き、気をそらした。
 折角のいい気分を壊されたくはない。こんな風にひとつ布団に包まって囁きあうなら、バカだ嫌いだと憎まれ口を叩くより、好きだという言葉の方がずっといい。
「違うっつったら、泣くからな」
「オメーが泣くのかよ」
 それはいっそ面白い、とでも言いた気に桜木が目を光らせた。
「泣くよー。桜木に苛められちゃったって、泣いて訴えるよ。えーと、ヨーヘーくんにでも」
「なんでそこでヨーヘーなんだ」
「だって桜木に意見できるんだろ? オレお手紙書こうかな。いつも桜木くんには公私ともにお世話になっていますって。だけど今回オレを泣かせたんで、なんとかして下さい。赤木キャプテンへ」
「ゴリにかよ!」
 ぶっと噴き出してみせる桜木の反応のよさに、仙道は枕に顔をつけ、声を殺して笑った。
 やがて桜木もつられたように、小さく肩を揺らす。
 笑うと途端に人懐っこくなる桜木の顔は、好きだ。そう実感すると仙道は、大あくびをして目を閉じた。
 もう眠い。今日は桜木を解放してやろう。
「……大丈夫。オレ、心広いから」
 安心しろ、本気で学校へ迎えに行ったりなんかするもんか。よかったねお前、オレの聞き分けがよくて。さすがの仙道にも、そうつけ足すのは憚られた。
 第一それではまるで、自分がこの関係を公にしたがっているかのようだ。誰が好き好んで男同士、シャレでは済まない遊びをしていると吹聴して歩きたいものか。放課後手を繋いで一緒に帰るだなんて可愛くて幸せな夢を持つ桜木を、ちょっとからかっただけだ。桜木はいじり甲斐がある。
 眠るのに居心地のいい形を探し身じろいだ仙道に、桜木の静かな声が降ってくる。
「センドー。オイ」
 目や口を開くと、またなにか言い争いになるかもしれない。元気な時なら桜木をからかって遊ぶのは楽しいが、それも今夜、もう面倒だ。
 柔らかで温かな、この空気のままで眠りたい。
「センドー。……寝たのかよ」
 桜木の指が、仙道の長めの前髪をそっとかき上げた。
 気持ちがいい。
 もう少しこの感触を味わっていたいと思う間もなく仙道は、眠りへ落ちた。



「さみぃよー」
 風が強い砂浜を、桜木と仙道はゆっくりと歩き出す。
 昼近くになって目を覚ました仙道を、海岸の散歩へと誘ったのは桜木だった。
 二人とも私服で、人の少ない冬の海岸でなら手を繋いで歩けるだろうと、しどろもどろに口にした。
 べつに仙道とて本気で桜木と手を繋いで歩きたかった訳ではない。どちらかというと迎えに行こうかの申し出は、女の子に憧れる桜木への売り言葉に買い言葉、冗談に紛らわせた憎まれ口のようなものだった。
 それをなにやら重く受けとめたらしい桜木の素直さが、仙道を嬉しくさせた。だからこの風の強い冬の日に、わざわざ砂浜へつきあった。
「うわーこえー! 目ぇ見えないの、思ってたより怖ぇよ!」
 宣言通り仙道はアイマスクをつけている。その手を繋いで引きながら、桜木もつられたように大声を出した。
「だぁぁっ。るっせー!」
「だってお前がちゃんと言わないからだろ。足元にゴミとか落ちてねぇ? 見えねぇの、本当怖いんだってー。歩くの早ぇよ、もっとゆっくり歩けよ」
 手袋をした手を繋ぎながら、仙道が珍しく大声を出す。足元がおぼつかない分、握った手に力が入る。
「大丈夫だ」
 桜木の強い声に仙道は、見えないながらもそちらを向いた。途端、軽く腕を引かれ、砂につまずく。
「おいっ」
 転びそうになった体は、うまく桜木が抱きとめてくれた。それでも怖い。アイマスクをめくってやろうとした仙道の手を、桜木がとめる。
「センドー」
「ん?」
 ふ、と熱が近づいたと思った時には唇に、柔らかなものが触れていた。
「え」
 桜木の体がすぐに離れたことは気配で判った。けれど繋いだ手だけはそのまま、握り締められている。
「……桜木、今、キスした?」
 外でこうして手を繋いでいるのも初めてなら、キスなど当然もってのほかだ。だから、多分そうなんだろうと思っていても、確かめたい。
 そう思い口にした仙道の言葉に桜木は、がぁ! と吠えた。
「きっ、聞くんじゃねぇ! 察しろ!」
「えー? 唇奪っといてその言い種かよ」
「うばっ……! 人聞きが悪い!」
「違ったか?」
「うるさい、うるさい、うるさーい!」
 叫ぶ桜木の焦ったような声に、たまらず仙道は大声であははと笑った。
 桜木は今どんな顔をしているんだろう。きっと耳まで真っ赤になっているに違いない。
 その様が見たいと思ったが、仙道はアイマスクを外すかわりに、握った手に力を込めた。
 周囲に誰かいるのかいないのか、そんなことは桜木が注意していればいい。誰に見咎められても構わない。自分は桜木が引く手を頼りに足を出し、歩く。今はそれでいい。
「お前の声の方がずっとうるせーよっ」
 強い風に負けじと、笑いながら仙道も叫んだ。




仙道は、そば殻枕も似合うんだけど、
ふっかふかのふわふわ枕も似合うと思うんだ。

12.12.21.UP

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