オフ本001Marshmallow kickより
ただただすべてを・1


 四月も終わりともなれば、晴れた昼間は汗ばむ程の陽気にもなるが、日が落ちきると多少は冷える。
 仕事が終わり細かな用事も済ませた、涼やかな空気の流れる夜の自由時間に、近藤は屯所の自室で書の鍛錬をしていた。
 遠くの部屋からは隊士達の笑い声やテレビの音が小さく聞こえる。と、いつもの足音が廊下をやってきた。
「局長。いいか」
 土方の声がした。
「おう」
 ちょうど手習いのキリもよく、近藤は文机に向いていた顔を上げる。座ったままぐんと背筋と腕を大きく上に伸ばし、んーっと唸り声を上げながら、肘を曲げ何度か肩と首を回す。
 幕府の上役にも書状の類を提出する事がある為に、恥ずかしくない様にと始めた近藤の手習いだったが、道場で稽古をしている時とも実際の書類仕事とも違う、ある種神聖で不思議な緊張感が好きで、ここ暫くの間ほぼ毎日続けている。
「精が出るな」
 静かに障子を滑らせて、着流し姿の土方が書類を持って入ってきた。
「うん? やってみると面白いよ」
 言うと近藤は、少し行儀は悪いが膝立ちの格好で部屋の隅まで行くと、ポットから急須に湯を入れ、盆の上の伏せられていた土方用の茶碗と自分の飲み差しの湯飲みに茶を注いだ。
「すまねェな」
 いつもは勝手知ったるとばかりに自分で茶を入れるが、時々タイミングが合えばこうして近藤が茶を入れてくれる。
 既に近藤が急須一杯位は飲んだ後の出涸らしだが、別に自分の舌が上等だとも思えない土方は、嬉しそうに言うと茶箪笥の上の灰皿を取り、いつものように近藤の対面の文机から少し離れた場所に、裾を多少は気にしつつも、どっかと胡坐をかく。
「今日の報告」
 言って土方は袂から取り出した煙草に火を点けうまそうに一服し、畳に置いた書類を手に取った。
 今日は特に、重要な報告はない。
 指名手配中の攘夷浪人かとタレ込みがあった件も、調べてみればあっさり違うと判明し、天人同士の喧嘩も意外に早く収まった。
 市中見廻りも「異常なし」で、実際そうそう異常があっては堪らない。
「後、山崎の奴が「おじちゃん、猫探して下さい」って五つ位の子に言われたって泣いてたよ」
 くだらねェ、と鼻先で笑いながらも土方が付け加えた。
「おじちゃんってのもショックだし、真選組が猫探しするって思われてるのもショックです、だってよ」
 武装警察形無しだなと、つられた近藤もぷっと吹き出しながら、「山崎がおじちゃんなら俺どーなんのよどーすんのよお爺ちゃんになっちゃうよ、なんでよ結婚もしてねェのに孫なんざいねェよ神様って残酷!」と、騒いでみせる。
「うるせーよお爺ちゃん」
「そんなデカイ孫はいません!」
 勿論ふざけてではあるが拗ねてみせる近藤に仕方ないなと呆れたまま、土方は明日の予定を報告する。
「明日は天人の子供の警護ってのが昼間に一つ。これは総悟の隊に行って貰う。まァ警護って名目にはなってるが、実際は「真選組が見たい」ってー子供のわがままが上の方を回りまわってきたもんだから断れねェってだけなんだがな。あんなサド野郎に子守りが出来るか心配なんだが総悟ご指名だから仕方ねェ。出かける前に近藤さんからもよっく言い聞かせといてくれ。後、昼の市中見廻りは一番隊の代わりに十番の原田んトコに頼んである。夜は五番と七番だ。次、明日の非番の届けはこれな。変わったトコ行く奴ァいねェが、まァ、後でざっと見といてくれ」
 煙草を吸うと茶で口を湿し、選り分けた書類を近藤の座る右端に、向きを変え、腕を伸ばして置いた。
「おう」
 後で、とは言われたが早速それをめくり見ていた近藤は、入院中の隊士の名前に目を留めると「また見舞いに行かねェとな」と呟く。
「あァ。見舞いなら俺が行ってもいいが」
 言うと土方は新しい煙草に火を点けた。
 まァアイツも近藤さんと俺なら近藤さんの顔が見たいだろうが、と自嘲気味に思う。
 どうせなら近藤さんと一緒にってのも揃って出かける口実にしちゃ悪かァねェが、真選組の局長副長揃って見舞いに登場なんて事になったら当の怪我人がそれ程自分の具合は悪いのかと勘違いしそうだ。
 散歩にゃ実際、いい季節だよな。ま、この人と一緒なら季節関係ナシに行き先がどこでも仕事でも、喜んで行くんだけどな。そういや最近、近藤さんと二人で出掛けたりしてねェな。
 あァ自分もぬるい事考えてやがんなァと感情を持て余しながらも土方は、この話は以上だろ、と別の話題を切り出す。



小説メニューへ戻る 続く