ただただすべてを・2

「そういや頼んであった着物、出来たってよ。一応寸法合わせたいから近藤さんが店に顔出すか屯所に持って行きますがって事だったがな。どうする?」
「じゃ丁度いいや。明日にでも見舞い行ったついでに店回るか。明日なら特に予定なかったろ? トシ、一緒に付き合えよ」
「一緒に」
 咥えていた煙草の存在を忘れ、思わず鸚鵡返しに呟いた土方の口から煙草が転がる。
「うわァっちィイイィ!」
 畳に落ちた煙草を慌てて摘み上げると、今度は灰が落ちた。
「あぶねっ」
 一瞬早く近藤が、文机の脇から体をずらし、火の点いた灰の上から掌を畳に叩き付ける。バシバシ何度も畳を叩き、火が消えたのを確認するとようやく近藤は自分の掌を見た。
「見せてくれ」
 土方がぐっとその手首を引くと、体勢を崩した近藤が「いってェ」と体を捻る。
「痛いのか」
「違う違うこの格好が」
 正座したままだった近藤の腕を、勢いに任せ引いていた事に今更気付き、土方は「悪ィ」と慌てて手を離し、近藤の傍へと回り込んだ。
 ふっと近藤が掌を吹く。
「おう。丈夫なもんだ。赤くもなってねェ」
 さっと灰の汚れを叩き落とし、見ろよ、と自慢気に土方に広げて見せた。近藤の剣だこだらけの大きく肉厚な掌は、成程、火傷も水脹れもない。隣で近藤の手首を両手で握っていた土方は、その様子に心配の余り詰めていた息をほっと吐く。
「すまねェ。俺の不注意で」
「なんて事なくてよかったな」
 土方に手首を握られたまま、なんとなく所在無げに近藤は指先をにぎにぎと動かしてみせた。
「あ」
 やっと近藤の手を掴んだままだった事に気付いた土方が、そのまま固まる。
 オイオイ「あ」じゃないでしょなんで赤くなってんの。そんで青くなってまた赤くなってんの。
 さすがに胸が痛いでしょ。
 混乱して思考が停止している土方を、さてどうしたものかと思いながらも近藤は、ふいと視線を畳に移した。
「……悪ィ。汚した」
 つられて視線を近藤から畳にやった土方は、ようやく手を離し畳の灰を払う。注意して見ればほんの少しだけ薄い茶に変色しているが、灰に付いた火も小さく、消すのも早かったので大事には至らなかったのだろう。
「気にすんな」
 それでも悪ィと繰り返す土方に近藤は、はははと大口で笑う。
「ただでさえとっつァんに銃弾ぶち込まれたりしてんだ。構やしねェって」
 まァそういやそうなんだが、と口ごもる土方を尻目に、近藤が「なんの話だっけ」と書類をめくった。
「あー」
 なんだっけ、と咳払いをしながら土方が落ち着きを取り戻そうとまた煙草を咥える。
「あ、見舞いか」
「あ」
 だから「あ」じゃなくて。咥えたはいいが火を点けるのをためらってみせる土方の反応がおかしくなって、近藤は笑みを浮かべた。
「明日。こんな時でもなきゃ、最近一緒に出掛けてねェだろ」
 多少強引に話を決めてしまえば、土方は大概断らない。
 力入れてばっかとか、屯所と見廻りの仕事の往復だけじゃストレス溜まって煙草の量増えるでしょ。息抜き息抜き。飯でも食って少しだけ、深呼吸してこよう。
「ああ、うん」
 口先だけでとりあえずの返事をすると、かちりと音を立て、ようやく土方が煙草に火を点ける。
「帰りに仕立屋寄りゃいいだろ」
 今日はもうお仕舞いと書道具を文机ごと片付け、立ち上がったついでに近藤は「折角だ、晴れりゃいいな」と再び大きく伸びをした。
「や、でも局長と副長が揃って留守なんてのは。総悟の奴もいねェし……ってこれはいいのか? ラッキーか? 総悟のいぬ間に命の洗濯か?」
 土方がぶつぶつ考え込むのに近藤は「いいの」とあっさり言ってのける。お前はいつもみたいにマイマヨネーズ持ち歩くといいよ。
「お前有給溜まってるでしょ。俺は公務で行くけどね、お前は有給って事で付けとくから。ハイ局長の判子」
「なんで俺だけ」
 近藤は本当に執務用の局長印を出して、書類を寄こせとばかりに掌を上に土方に付き付けながら、胡坐に坐り直すと、押すよ押すよと判子を振ってみせた。
「人事の担当に言われんだよ、副長の有給溜まってますって」
 嘘吐けコノヤロ、と土方は鼻から大きく煙を吹く。
「うちにそんな担当いねェだろ」
「俺だもん! 人事の最終決定権は俺だもん! 俺が言うんだもん!」
 いやまァそうだけど。その辺の人事的なのってほぼ俺に任されてる感じですけど。俺が好きでそう仕組んでんだけどアンタそれこそ最後に判子押すだけじゃね? そんなの担当じゃねーだろ。でもまァ。
「トシもたまには休まないと。俺の休みが目立っちゃうでしょ」
「そっちかよ」
 体調の心配でもしてくれてんのかとちらりと考えたのに。
 ケッと横を向き毒吐く土方に、近藤があっはっはと声を上げて笑った。




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