オフ本 006 焼芋 より 怖じ気付く道義的野蛮人・1 最初は、どうという印象はなかった。 ただ、若い女だ、これがこのクソ生意気な兄弟子の身内かと思っただけだった。 近藤さんの「いつまでだっていりゃァいい」なんて甘い言葉と、剣の稽古をする姿に、面白ェやと腰を据えた俺は、門人と言うには金がなく、内弟子というには流派の教えも知らず、建前上は食客という名の居候、ちびっこのクソッタレのこましゃっくれがここ何日か稽古に来ない、お前呼びに行ってくれ、てな事を言われて迎えに行った時に見た。会ったというよりゃまさに、見たといった感じだった。 「そーちゃん」 歳の離れた弟に呼びかける、その人の声の優しさに気付いたのは、随分と後になってからだった。 俺は、何がそんなに気に入らねェのか、まったくこちらに懐こうとしない総悟を道場に引いてくる役だった。 その人は時々、道場にも顔を出した。近藤さんと笑顔を交わし、総悟に声をかけ、口やかましい師範代のジジィの肩を揉んでやったりしていた。女っけのない近藤さんの屋敷に、彼女がいるのは中々よかった。 女に不自由した事ァねェと言やァ聞こえはいいんだろうが、名前も碌に知らねェような女同士で争われたり、「俺があの子に振られたなァ、お前の仕業だろう」なんて鏡見てから一昨日きやがれとでも言いたくなるようなご面相に、絡まれるならともかく泣かれたりと、俺は女にゃホトホト懲りてた。 それでも不思議と彼女の、ミツバの存在は、嫌じゃなかった。 でしゃばらずいつもにこにことしている。弟と揃いの淡いはしばみ色の髪に縁取られた整った容貌は色気とは無縁だったが、女に興醒めしていた俺は、それに却って好感を抱いた。 特に二人で何をした、という覚えはない。 いつもそこには近藤さんがいて、総悟がいて俺がいて、その中にたまさか彼女が混じる。例えば稲荷神社の祭り。例えば見事な紅枝垂れで花見。時々は彼女に気をよくした大先生に金を貰って四人で蕎麦を食いに行く。 日常という程近くはなくて、ハレの日よりも少しだけ頻繁で、そんな風にその人はいた。 俺に惚れているのかと、気付いたのは早かったと思う。視線を感じ振り向けば、彼女が頬を染めながら慌てて目を逸らすところだったりした。 初めの内はそんな彼女を気の毒に思った。 彼女はいい人だったから。 嫌いじゃなかった。ただ、その時もう俺は、二世を誓う事すらできねェ人にぞっこん参ってたんだ。 俺に居場所をくれた人。やりたい事を思い出させた人。ホントは自分で何でも出来るくせに、俺がいなきゃと思わせるお人よし。 その人は、真っ直ぐ目を見て喋る。やたら触る。日向の匂いがする。バカな話を沢山する。お節介な程人に構う。 悪いところだって幾らもある。飲めば脱ぐし振られりゃ泣くし、そのくせ次の瞬間にはまた別人に惚れている多情っぷり。さすがに俺が「呆れたモンだ」と呟けば「いいの。俺にはお前がいるから」なんて愛嬌だきゃァある顔で、あっさり殺し文句を吐く。 懐っこい人柄が正直初めはウザかったんだが、謹厳実直、それこそバカが付く程太い丸太で素振りを繰り返す様には圧倒された。 惚れたからってどうなる人じゃなかった。 俺が男で、その人も、近藤さんも、当然のように男だったから。 |