溺れた・3 多くは望まないと、思いを殺すのには慣れたと思っていた。 この人が歩く道が、どうか晴れていますようにと、祈る。 近藤が雨にも風にも負ける男ではないと実感で判っている。それでも存在すらあやふやな神仏に、胸のどこかで祈り続けていた。 泥なら俺が被る。おあつらえ向きに自分は汚れた存在で、それでも泥除け程度にでもなれば、生まれて近藤の傍にいる事に意味があったと誰かが、世間が認めてくれると思っていた。 それがどうだ。 近藤に「好きだ」と言われた。こんな体を欲しいと言われた。男だと見せびらかすよう脱いで見せても、逃げずに抱き締めてくれた。自分にあの肌を触らせてくれた。 熱い、鋼のような腕が想像よりも強い力で自分を布団へ縫いとめた。あの時の、あの、顔。 逃げるなと囁かれた時は脳髄が犯されると思った。 このまま殺してくれれば本望だ、とも。 近藤の隣室への引越しをためらっていたのは、何も照れからばかりではない。 初めての時は逡巡する近藤に、無理やり自分が挿入をねだった。アンタと繋がりたいと、でなければ俺がアンタを抱くとまで言った。 なんと身勝手な脅迫だ。 それでも、優しい近藤は、そう言えば抱いてくれたのだ。あの清廉潔白な人に、自分が男を抱かせてしまった。 そう思えば次を望むのが怖くなった。 好きだと声をかけられる度に泣きそうになる。本当かよとすがりつき、ならばどうかと跪(ひざまず)いて服従を誓い、傍にいてもいいんだと自分を納得させたくなる。 こんな愛情は、呆れる程、重い。自分が一番よく判っている。 はじめから与えられない熱ならよかった。 自分にはすぎた夢だと諦めていられる内はよかった。 やり場のない、鬱屈した自分の思いを拾い上げてくれた、嵐のような一夜でよかった。 隣室になれば、これまで以上に全身で近藤の気配を探ってしまう。きっと自分は、際限なく求めるだろう。そんな愛情は、考えるまでもない、自分でも面倒くさい。 あの声で、好きだと何度も囁かれてしまった。柔らかな唇を、頬に、額に感じてしまった。腕を引き、抱き締められる力を覚えてしまった。 酷い男だと近藤を恨む。 嫌われたくない。土方の頭はそれだけでいっぱいだった。 自分から好きだと言って、嫌われたらどうしよう。抱きついて拒絶されたらどうしよう。アンタを欲しがり欲望に震える姿を、笑われたらどうしよう。 そう思えば土方は、身動きが取れなくなった。 そんな自分の卑怯な臆病風すら近藤は「好きだ」と繰り返し、抱き締める事で吹き飛ばす。 小指を繋いでくれた「約束」を、信じてみようと思う。 自分を否定するあまり優しい言葉を信じる事ができずにいたが、それでは前に進めない。 「好きだ」と、「一生言う」と囁いた近藤を信じて、こんな自分にも価値があると信じてみようと思う。 目覚めた時の、機嫌のいい近藤の顔を思い出す。 自分の体で、言葉で、近藤が喜ぶなんて夢のような事が本当に、現実で許されるのかと不思議になる。 許されるならば、すべてを近藤へ捧げたい。 自分の汚いところも弱いところも、すべてを近藤に捧げ、いらなくなったら捨てりゃいいと近藤に取捨選択を迫りたい。 変わりに、キスを。あの、強い腕を。 気付けばまた近藤の事を考えていると、土方は小さく、一人で声に出してみる。 「……色ボケ」 かすれた声は夜明け前の屯所で静かに、聞くものもなく空気を震わせた。 放っておけば、自然頬は緩む。それでも今日くらい、今の内なら平気かなと自分を甘やかしてしまいたくなる。 近藤の腕にはそれ程の魔力があると真剣に考え、そんな自分の甘ったるい思考にまた目が回る。 しっかりしろよと言い聞かせながら土方は、自分の両頬を音を立てて叩く。 よし、と腹を据え部屋変えの荷物の残りを解きながら、いつしか土方は無意識に、調子のいい鼻歌を口ずさんでいた。 |