夏はじめ・1

「いよ。こんなトコいたの」
 そう言って近藤は縁側で横になった土方へ近付いた。手入れされてはいるが何分古い屋敷の木床が、近藤の足にギイと軋む。
 喧嘩で怪我をした体を治すより前に飛び出して、更に怪我を増やした土方が、この道場に居着くようになって早三ヶ月が過ぎていた。
正式な剣術の面白さに加え、時期道場主となる近藤の、詮索しない割にはおせっかいな性質に、引き止められるままに居座っている。
「ん? 何」
 新緑の薫る春風に誘われ、中食ちゅうじきが済んだ後、老師範がいない静けさと気楽さに、縁側で転寝をしていた土方がさっと体を起こした。
 近藤自身が礼儀や行儀にうるさくない為つい油断をしてしまうが、自分が無駄飯食らいの居候だという自覚はある。
「ん、ちょっとな、金ェ入ったからよ。夕方から遊びに行かね?」
 屈託ない笑顔で土方の隣へと腰を下ろした近藤は、庭の日差しが眩しいと目を細めた。
「買い物?」
 厄介者だと土方に感じさせない為か、それともそういう性分か、老師範は二人の仕事だと散々に用を言い付け、近藤は「お前がいて助かった」と笑いながらに話しかける。
 洗練さや金には無縁ののどかな場所だが、近藤や老師範の使う剣のように、ここは真っ直ぐ健全な世界だった。
「買い物……かねェ?」
 呟いて考え込むようちらりと遠くを見つめた近藤が、ガシ、と土方の肩へ腕を回す。屋敷には誰もいなかったが、近藤は土方の耳に口を寄せ、内緒話と囁いた。
「オメーもアレだ。ここ来て暫く経つしよォ。全然遊びに行ってねェだろ? ……岡場所、行かね?」
 言ってにやにやと顔色を窺った近藤は、目をぱちくりと不思議そうに自分を見る土方の背を、安心させるようトンと叩く。
「大丈夫、今日爺さん帰ってこねェだろ? てか、爺さんに金貰ってんだよ。トシ誘って遊んでこいって。だから心配すんな」
 な? と顔を覗き込むよう上体を屈めた近藤に、土方は「ああ」と口先で返事をする。その気乗りのしない様子に近藤は、気を楽にしてやろうとわざとからかう声を出した。
「お前、行った事ァねェの?」
 茶化すような声色に、むっとはするがうまい台詞が出てこない。面倒になり土方は、ただ頷いた。
「そーかァ。お前初めてかァ。そーかそーか、よし、姐さんきたら、お前先に選ばせてやるよ」
 その声からは揶揄する響きが消え、すっかり慰める口調になっている。
「うるせェよ。てかアンタ、行った事あんの」
 頭を撫でる近藤の腕を払いのけ、土方はフンと鼻を鳴らした。
「あァ。ま、何度かな」
 改まって言うなァちっと照れるやね、と平生を装う近藤の頬が少し赤い。その様を土方はじっと見つめた。
「何」
 気恥ずかしいのか、えい、とこちらを小突く真似をする近藤の腕を避けながら、土方はそれこそからかうように目を細める。
「俺ァ女に金出した事ァねェよ。……貰った事ァあるけどなァ?」
 土方の言葉に暫しきょとんとしていた近藤は、そういう事かとようやく得心して、目の前の色男に、悔しさ紛れに抱き付いた。
「なんだよ、お前、くそ腹立つ! こんのエロ事師!」
 そんな事だと思ったよ、と、からから笑いながら近藤が目の前の頭を掻き回す内に、指が元結に当たったか目の前でぞろりと土方の髪が零れる。
「あっと、悪ィ!」
 高い位置で簡単にひとつにまとめ、垂らしていた髪が肩へと流れると、さすがに気が咎めたか近藤は土方の体から手を離した。
「いいけどな」
 これ位なんでもねェが邪魔くせェ、と軽く首を振り、土方が髪を背中へと流す。仰のいて晒した喉の白さと無造作なりに艶やかな髪の黒さが妙にあだめいて、近藤は知らず小さく喉を鳴らした。



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