光を待つミノタウロス・1

 夜中、日付が変わる頃、ようやく隣のトシの部屋で帰ってきたらしい物音がした。
 俺が帰るちょいと前に出かけたらしく、朝以来顔を見ちゃいねェ。そろそろ寝るかと布団だけは敷いたものの、ぼんやりテレビなんざつけていた俺は、ちょうどいいやと立ち上がり、俺とトシの部屋を仕切っている襖に向かって声をかけた。
「トシ?」
 入っていいかと呼びかけると「おう」と短く返事をされて、俺は襖を開く。
 トシは着替えようと立ったまま、ちらりと俺を上目で伺いながら言った。
「起こしたか?」
 俺が寝てた訳じゃねェ事はトシにも気配で判っちゃいるだろうが、気ィ使った殊勝な感じがいとおしい。
「いや。そろそろ寝ようかとは思ってたけどよ」
「そっか」
 呟くトシの傍へ寄り、腰に手ェかけて軽く抱き寄せる。
「トシ」
 耳へ吹き込むように囁き傾く俺の体を、トシにやんわりと押しとどめられた。
「悪ィ。今日はちっと……」
 伏目がちに語尾を濁して囁くと、トシはなだめるみてェに俺の頬を指先で撫でる。
 その感触にますます俺の感情は煽られたが、仕方ねェ。我慢だ我慢。何が何でもって程青かねェもん。
 トシの体を、ほんの少し力を込めて抱き締めると、トシの体からは煙草の香りに混じって、俺が知らねェ、いい匂いがした。
 俺は腕の中の整った顔を間近に見下ろす。
「……でも、アンタが焦らしたりしねェって約束すんなら、」
 思わせぶりに舌で唇を湿し、トシが俺の背中へ手を回す。その鼻先にキスする真似で唇を鳴らしてみせると、俺はトシの髪をくしゃりと一撫でして体を離した。
「疲れてんだろ? もう寝ろよ」
 俺のその言葉に、トシは逡巡する素振りをみせたが、小さく手を上げ素直に「オヤスミ」と呟いた。
 自室へ戻り明かりを消して布団へ潜りこんではみたものの、いっかな眠りがやってこねェ。知らず知らずに隣のトシの気配を探っちまう。
 トシから漂ったあのいい匂いは、間違いようもねェ、脂粉の香りだ。
 この時間までどこにいたんだか知らねェが、トシの奴ァ、安物じゃねェ紅おしろいの主と、香りが移るほど長く、あるいは近くにいたんだろう。
 何してきたんだと、聞きゃァいい。
 どこで誰と何をしてきた。たいして意味もねェ時にゃいくらでも聞けるそんな言葉が、喉に詰まって苦しい。
 トシは、そりゃ聞けば教えるだろうが、妬いているのかと図星をつかれるのが気まずい。アンタはどうなんだと、さかんに飲み屋へ通うじゃねェかと笑われりゃ、ぐうの音も出ねェ。
 だけど、本当はそんな問題じゃない。俺の気が多いとかって問題じゃなくて、トシが男だって事を知っていながら、納得しながら、俺は目ェつぶって、見ないように考えないようにしてたんじゃないのかって事だ。
 お妙さんは元から、抱く用の女じゃねェ。ありゃ俺が女狂いの薄ら馬鹿だと世間へ印象つけるのにちょうどいい娘さんだ。あっちは商売で、俺は利用させてもらうだけの金は出している。
 散々トシと身を重ねて、情と欲望を取り交わし、馴染んだ体が一番だとほっとしているくせに、それでもたまに、俺は抱ける女が欲しくなっちまう。
 女の、その柔らかで細く小さな体を抱いて、自分が男だと納得する。
 興奮の度合いでいきゃァ、トシを抱いている方がずっといい。心をあずけ、互いに信頼しきって熱く薄暗い部屋で痴態の限りを尽くしてからまる。それは欲を吐き出す快楽以上に意味があって、心の奥まで裸になるってこういう事かと不思議な程に気持ちがよかった。




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