幻想・少年A 仙道と越野 1 卒業式が済んだあと、クラスで最後のHRも終わった。 友人同士写真を撮るもの、担任に気安く別れを告げるもの、このあとの予定を相談するもの。好き勝手に解散しながら、徐々に人数が減っていく。 「越野ー。最後だし、メシ食ってゲーセン行かね?」 仲のよかったクラスメイトがそう言ってきたのに、オレはにやりと笑ってみせる。 「悪ぃな、彼女待たせてっからよう」 途端にそいつらは「薄情モン」だの「いい気になってんじゃねぇ」だのと騒いだが、すぐ笑顔になって互いに軽く手を振った。 「またなー」 「おう、彼女によろしく。今度友達紹介しろって言っといて」 今度っていつだよ。そう言い返そうとして、なんだか必要以上にセンチメンタルになりそうでやめた。もう一度軽く手を上げ挨拶をすると、オレは校門そばの待ち合わせ場所へ向かうことにする。 彼女は同じ学年で、夏のインハイが終わったあと、向こうから告白されてつきあいだした。お互い受験だろってことで、図書館行ったり、帰りに何度かキスをしただけの可愛いおつきあいだ。だけど晴れて受験も済んだことで、この春の休みには、卒業旅行と称して一泊二日の遊園地デートを約束している。 彼女とオレは進学先が違うけど、「ずっと一緒にいれるよね」なんて可愛いことを言われちゃって手を繋いだりなんかしちゃって、もういい加減飽きるほど見た海だって、あの子と眺めればムード満点、夕日にサンキューだ。 今日もきっと彼女は散々相談しつくした旅行の計画をまた、ああでもないこうでもないといじってみたりするんだろう。そんなとこも、オレとの旅行を楽しみにしてんだなって思うと、素直に嬉しい。 なんてことを考えながら浮かれて廊下を歩けば、なにやら人だかりができている。その中心で、文字通り頭ひとつ分は突き出た、見慣れたツンツン頭。 今や陵南一の有名人、言わずと知れた仙道だ。 よく見りゃ周囲には女子だけじゃなく、男どもも結構いて、記念撮影なんかをねだっているようだ。 人気モンだなぁ。呆れながらも、嫌味じゃなくそう思う。手に持った紙袋には、なにやらプレゼントらしきものが沢山入っているのが見える。 「ありがとね」 眉尻を下げてにこにことプレゼントを受け取りながら仙道は、ひとりひとりにそうやって声をかけている。 「それでっ。あのっ。だ、第二ボタンとは言わないんで、その、袖のボタンとかいただけないでしょうか……っ」 女の子の一人が、真っ赤な顔で俯きながら勇気を振り絞っている。 「私も! 私も欲しい!」 「じゃあ私第二ボタンの本命狙いで!」 その場の女子が一斉にきゃっきゃと騒ぎだすと、仙道は軽く拝むみたいに、顔の前に片手を上げた。 「ごめん」 にこやかながらもきっぱりとした口調に、女子は多少トーンダウンしたが、今度は男たちが冷やかしはじめる。 「なんだよー。誰かあげたいヤツでもいんのかよー」 「仙道はお前らみてーなお子ちゃま相手にしねーんだよ。なっ仙道。有名になったら今日の写真、自慢するし。バスケもいいけど芸能界目指せよお前」 なんだか不思議だ。明日からはもうこんな風に、廊下でふと仙道を見かけるということもなくなるんだ。そんな風に感慨深くなっていると、仙道がオレを見た。 「越野! 悪いお待たせ! じゃ、オレ行くから」 そう言って仙道は大股でオレに近づく。お待たせってなんだ。べつにお前を待っていたわけでは全然ないんだが。 口を挟むまでもなく背中に手を当てられ、促されるように早足で歩かされた。 背後からは「卒業おめでとうございまーす」なんて下級生の律儀な声がする。この子たちも仙道ファンだろうか。 ちらりと仙道を窺って見るが、コイツは涼しい顔で振り返りもしない。それどころか角を曲がった途端、仙道はオレの手を握って階段を駆け上がった。 「あぶねっ。オイ……! オイッ!」 悔しいが足の長さが違う。オレは、一段飛ばしで階段を走る仙道に引きずられて転ばないようにするのがやっとだった。 そうして辿りついた屋上手前の踊り場で、軽く息を弾ませるオレと対照的に、仙道のヤツは涼しい顔をしてやがる。 「なんだよっ。急に!」 掴まれていた手を振りほどき、久しぶりの距離で自分よりうんと高い場所にある顔を睨みあげた。 今年の夏、陵南は念願だったインハイで全国に行った。結果はベスト8止まりだったが、仙道はバスケットで大学の推薦を勝ち取った。その為、夏で一旦主将の座こそ明け渡してはいたが、仙道はウィンター杯までバスケ部員だった。もっとも、冬の陵南は全国に行けなかったんだけど。それは推薦をもらえなかった仙道以外の三年、オレや福田を含めた全員が引退しちまってんだから無理もねぇ。うぬぼれじゃねぇぞ。オレだって、夏までは立派に主戦力だったんだから。 そう。オレのバスケット生活は夏で終わっていた。だからこそそのあと、空いた時間をもてあまし、受験生のくせに彼女を作った。 仙道とはクラスも違うから、こんな近くで話をするのは本当に久々だ。 「悪い。けど越野がいてくれて助かった。最後だからもういいかってサービスしようと思ってたんだけど、実はちょっと困ってた」 人好きのする笑顔を見せて仙道は、屋上への扉のノブをがちゃがちゃ回したが、そこは当然ながら鍵がかかっている。 「ちぇ。最後くらい屋上から海見て青春のバカヤローって叫びたかったのに」 どこまで本気か、そんなくだらないことを言って仙道は、肩をすくめてにこりと笑う。そうして長い足を持て余し気味に、屋上への扉に背をつけてもたれた。 「海なんか毎日見てただろ」 唇を尖らせるオレを、仙道が思わせぶりに見下ろす。 「うん。……もう見れない」 なんだよそれ。センチメンタル? 卒業だから? そういう湿っぽいの、オレは苦手だ。そんな台詞は福田辺りに言ってやればいい。アイツはあれで涙もろいから、きっとすぐ泣いて面白い。オレはそれをバカだなぁってからかいながら一緒に海を見に行ってやる。福田となら。 仙道となら、どうだろう。大体コイツが泣いてるとこなんて見たことねぇし、想像もつかない。コイツはどうせ、一人で海見て満足するタイプだ。 仙道の進学先は東京だ。ウィンター杯後、週に一度か二度は大学のバスケ部の練習へと通っているらしい。夏で部活をやめて以来、オレはあんまりコイツの動向を知らない。そう思うと不思議な気がした。 バスケは、オレの、すべてだったのに。 「……見にくりゃいいじゃん。見たい時に。海は逃げねぇ」 「すげ。越野格好いい」 仙道が楽しそうに目を丸くする様子に、オレは鼻を鳴らした。 「なんだよ、バカにしてんだろ」 ぐっと腹にパンチを入れる真似をするオレの手を掴んでとめて、仙道がからから笑う。 「してねーって。校長の話よりカンドーした」 「そうかよ。越野様のアリガタイお言葉だ、覚えとけ。……ほら、行こうぜ」 きびすを返し階段を降りようとするオレの背中に仙道の声がかかる。 「もう行くの?」 「カノジョ待たせてんだよ。なんだよ、お前ももういいだろ。絡まれないように校門までならついてってやるから」 ああオレってお人よし。しょうがないんだ。コイツが一人でなんでもできるって知ってても、見てるとなぜか世話を焼きたくなっちまうんだ。 「かばってくれんだ? やさしー」 浮かれたような仙道の口調はシカトで、オレは階段を降りはじめる。彼女に合わせると仙道も一緒に昼飯でもってことになるだろうか。でもきっと彼女は卒業旅行の計画に夢中で、何度もすっかり決めたコースだとか持ち物だとかをまた繰り返すだけで、そんな場に部外者の仙道がいるってのはどうなんだろう。 「越野」 数段降りたところでオレを呼ぶ仙道の声音は、それまでと違う妙に真面目な色を持っていた。振り向くと、仙道はついて降りるどころか屋上への扉に背をつけたままで動いていない。 「オレさ、越野には世話になったよねって」 いつもより酷い身長差。だけどそれももう終わりだ。今日で、終わり。見納め。そう思うと腹も立たない。巨人族め。 「おう。お世話したなぁ。やっと神妙になったかバカめ」 「自分で言うか? でも、そうだな。なぁ越野。気づいてる? 今オレたち、ここに二人きりなの」 仙道がなにを言いたいのか判らずに、オレはとりあえず頷いた。 「……そうだな」 それが? と眉根を寄せながら仙道を見上げれば、アイツはじっとオレを見下ろす。 「越野、オレに言うことないの?」 「なんだよ。卒業オメデトウとか? 言いたいことがありゃまた連絡するっての」 ほら行くぞ。そう思い軽く手招きをしたが仙道のヤツ、動こうとしねぇ。 つきあってられるか。 一体なんだってんだ仙道め。最後だからか。最後ってなんだ。そりゃ明日からは特別な用事でもなけりゃ学校にはこない。だけどここしばらくだってずっとそうだったし、それが卒業ってことだろう。 「じゃあな」 オレはもう仙道を振り返らず、階段を降りる。彼女が待っている。 アイツがオレに言いたいことがあるというならともかく、オレがアイツに言いたいこと? なんだよそれ。 大学行ってもバスケ頑張れよ、とかそういうことか? お前、なんでもできっから、時々ちょっと腹も立ったけど、お前とバスケして、オレ、楽しかったよ。お前は間違いない、日本でもトップレベルの選手で、オレが今後そんなスゲーヤツとバスケすることなんてきっと一生なくて、だから今までありがとなって、そういうことが聞きたいのか? オレは、オレたちは、お前とバスケして最高楽しかったよ、でもお前は? お前はどうだったんだよ。 バスケは個人競技じゃねぇから、いくらお前が天才でもオレたちが足引っ張っちゃ意味がねぇ。だからオレたちは練習して、お前を呼ばずに自主練して、それでも次にお前と練習するとその凄さをまざまざと感じさせられて、試合じゃ最高に頼もしかったけど、なんでオレはお前じゃないんだって悔しかったことも、正直あったよ。 だけどそうやって嫉妬する以上に、お前とバスケすんのは楽しかった。ただのフットワークでも、お前に負けたくねぇって目標がありゃ頑張れたし、パス練だってお前とやれば、オレまでうまくなった気がした。気のせいじゃねぇな、実際オレだってうまくなってたんだよ。 試合形式ともなればお前のパスはいつどこからくるか判んねぇから一瞬だって気が抜けなくて、体格だって普通なオレが本気でバスケやって一度は全国行ってって、そんな快挙の一端を担えたのは仙道、お前がいたからだ。 お前がバスケ好きなのは知ってる。 人当たりはいいし成績だって悪くない。なんでもそつないお前が大学までバスケ優先で選んだのは推薦があるって目先のことだけ考えてじゃねぇのは、お前のプレイを見てりゃ判る。 新人が吐くほどキツイ茂一の練習を、仙道だってちゃんとこなしてた。筋トレだって「エースだろう」って茂一の一言で別メニューまで課せられてた。当たり負けしないようにって。そうやってお前はバスケすんのに最高のその体を、最大限まで操れるように鍛えてた。 そんな仙道と肩並べたいって、バスケじゃチビでも、オレや植草だって頑張ったんだ。 頑張ったんだよ。 今までありがとうって、そういうことは一足先に引退するときに言った。オレとしちゃ以前も結構真面目に言ったんだけど、もう一回ちゃんと言えってことか? そんな恩着せがましいヤツじゃねぇよな。だったらなんだ。 校舎を出て、オレは待ちあわせの校門のとこまでを大股で歩く。彼女はもうきていて、ちゃんとオレを待っててくれた。 「遅かったね」 風でなびく髪を押さえながら彼女が笑う。行こう、と笑顔になった彼女は可愛くて、オレはなんだかほっとした。いつの間にか息を詰めていたらしい。 いつものように繋ごうと伸ばしてきた彼女の手を取って、歩こうとして、そして。 足をとめたオレを彼女が少し不思議そうに振り返る。 彼女は可愛い。オレのことを好きって言ってくれるし、オレだって好きだ。旅行の計画立てちゃうくらい。これからもずっと一緒だよって約束しちゃうくらい。 「……ごめん。今日一緒に帰れないんだ。急にバスケ部のやつらと約束できちまって」 オレはそう言って彼女とつないだ手を離し、スマン、と軽く頭を下げた。 「えー?」 彼女はさすがに驚いたようだったが、こんなことならあの子たちと帰ればよかった、なんて唇を尖らせただけですぐに笑顔になった。 「ホンット、バスケ好きだよね」 そう言って「今度アイスおごりだからね」と続けて、素直に先に帰って行った。 彼女とは、またすぐ逢える。卒業後も、ずっと。逢いたい時に逢えるし、電話もできる。 だけどアイツとは、もう、これで。 彼女が門から出たのを見ると、オレは今きた道を逆走した。 |