幻想・少年A 仙道と越野 2 なんで走ってんだろう。さっきより人が減ってくれてて助かった。でももうアイツだって帰ったかもしれねぇし、それにオレ、仙道に言いたいことなんてべつにねぇのに。 屋上までの階段を一段飛ばし二段飛ばしで駆け上がり、踊り場のとこまで戻ってみると仙道は、果たしてその場にあぐらをかいて座り込み、ぼけっとしてやがった。 「あれ、越野」 「あれじゃねぇよ。なんでこんなとこいるんだよ」 さすがにキツイ。息が上がる。最近走ったりしてねぇからなあ。人はこうやって年を取っていくんだな、なんて判ったようなことを思いながらその場にへたり込む。 「もうちょっと人が減ってから帰ろうと思って」 「そうかよ」 オレは手すりを背にして、仙道に向かいあうような形で座り直した。ふう、と息をついたオレに、仙道がにっこり笑いかける。 「越野さあ。……オレのこと、好きでしょ」 「はぁぁ? なんでだよふざけんな」 唐突な言葉に噴き出すオレに、仙道は考えるみたいに一瞬視線をさまよわせたあとオレを見た。 「ああ、うん、そういうんじゃなくて。……オレ越野には世話になったし。越野のこと、好きだよ」 「……そりゃどうもありがとう」 一体、なんだ。茶化す空気でもなくて、とりあえずオレが礼を言うと、仙道は軽く驚いたように目をぱちくりとさせた。 「それだけ?」 「どう言えってんだ」 「だから。オレ、越野のこと好きだから。越野がオレのこと好きって言っても、ちゃんと聞くって」 胸が派手に軋んで、オレは一瞬言葉をなくす。顔からどんどん血が引いていく。そんな自分を振り払おうと、無理やり言葉を絞り出す。 「……どういうことだよ」 「そのままの意味だってば。越野こそなんで判んねー振りすんの。お前、オレのこと好きじゃなかった?」 胡坐の姿勢から片足を立てた状態で、その膝に頬杖をつきながら仙道が首を傾げる。からかっている様子はない。 「オレは」 弾かれたように口を開いたものの、なにを言っていいのか判らない。 オレは。オレはコイツが好きだった。ずっと。一年のバスケ部で初めて逢った時から、ずっと。初めはプレイに見とれて、だけど話してみたらバスケがうまいのを鼻にかけるなんてとこ全然なくて、バカなことも言うし先輩受けもいいし練習でへばってたら一番に「ガンバレ」って声かけてくれるし、つまんねーことでオレがつっかかっても受けとめてくれたし、オレはこんな融通きかねー性格だから他のヤツらともすぐ喧嘩騒ぎで、だけどお前がなだめたり笑い飛ばしたりしてくれて、おかげで部活も楽しかった。茂一のハードな練習に耐えられたのはなによりコイツがいたからで、お前を見てるとオレはもっともっとって。 オレだって飛べるしオレだって走れるって、一緒ならいつもお前はそう信じさせてくれるプレイヤーで、それが、いつ劣情にかわったのかは、オレにも判らない。 仙道は、ずっと知っていたんだろうか。 オレが、オレ自身でも認めなかった仙道への感情。 ふは、と俺の口から笑いが漏れた。笑いは小さな波のようで、爆発しないかわりにあとからあとから湧いて出た。一人でひとしきり笑うと、オレは足を前へ投げ出す。 仙道はつられて笑うでもなく、ただいつものようにオレを見ていた。 「お前、オレのこと好きって言った? それってどのくらい?」 なんだか肩の力が抜けて、あーあと首をそらして天井を見上げる。目に入るのは薄暗く埃をかぶった蛍光灯で、確かにつまんねーな、これがせめて屋上だったら青空が見えただろうにと思う。 「だから。越野の告白、真面目に聞くくらい。言えよ。……ちゃんと振ってやる」 「なにそれ。オレ、振られんの?」 ははは、とこみ上げた笑いは随分乾いていて、今度はすぐに途切れた。胸の奥が一度強く痛んだけれど、ある意味判っていた当然の結果が提示されたことで、ほっとしている。こういうのなんていうんだっけ。予定調和? そうか。オレは、振られるのか。告白する前にそんな宣言をされるって、オレの恋心もお気の毒さまだ。冷静に考えりゃそうなんだろうけど、なんだか笑える。だって面白い。こんな経験するヤツ、あんまりいないぞ。 不思議とすっきりした気分で、なんだかこんな状態は、悪くない。肩の荷が下りたって、多分こういうことだ。 今までオレはコイツについて、なにを悩んでいたんだろう。 誰にも言えないと、オレはおかしいんだと頭を抱えていた日々は、一体なんだったんだろう。 「仙道。オレな、お前のこと、好きだったよ」 誰もこないようなこんな辺鄙な場所で、オレは、初めて仙道に気持ちを伝えた。 お前のバスケやってるところが好きだとか、そんなんじゃない。オレは、お前の存在全部に夢中だった。お前にだけは絶対言えないような妄想で、頭ん中のお前を汚したことだってある。 そんな正体を悟られたら嫌われちまうだろうと、オレはわざと仙道に口うるさく接した。 大局を見るタイプのお前に対抗するように、神経質に注意をしたり、そうして、気質は違うが対等だと、コイツに、自分に、周囲に印象づけたかった。 オレが仙道に向ける目は一種のライバル心で、友情で、お節介なだけだって、自分を含めた世界中を騙したかった。 騙して、おきたかった。だけど。 絶対ないって、そんなのありえねぇってどんだけ思い切ろうとしてもどっかでずっとお前のことを好きだったのは、もしかして、なんて可能性にすがっていたかったからかな。 オレが口に出さない限り、オレは振られなくて、それどころかもしかしたら仙道もオレのことを、なんて。そんな夢を見ていたくて今までオレは一歩も動けなかったんだ。 「オレを好きになってくれて、ありがとう。オレも越野は好きだけど、オレのとお前の「好き」は違うから、……ごめんな」 仙道が真摯な顔で俺に告げる。それを聞いてオレは、ほっとして泣きたいような、なんともいえない気持ちになった。 「あーあ。……振られちゃった」 軽い口調で吐き出しながら、オレは確かに自分の気持ちが楽になったことに気がついていた。 この、胸の奥が空っぽになったような気分は一体なんだろう。これは空虚じゃない。解放だ。 仙道への思いが呪縛になって身動きとれずにいたけれど、もういいんだ。オレが仙道を好きだったことを、少なくとも仙道とオレには、もう隠さなくてもいいんだ。やっとこれで終われるんだ。 目に見えない自分の恋心ってヤツが、ふわふわとどこかその辺を漂って、昇天していくさまが脳裏に浮かぶ。 成仏……しちゃったんだなあ。 無意識で浮かんだその考えがおかしくて小さく笑うと、オレはそろそろ帰ろうと仙道を促した。校舎からはさらに人影が減っている。 「なに笑ってんだよ」 言いながら仙道も、今度は大人しく俺と一緒に階段を降りる。 「なんでもねぇって」 バスケをやめた夏以降、仙道との接触はできるだけ避けていた。少なくともオレから、用もなく近づくのはやめようと意識していた。俺と仙道を繋いでいるのはバスケだけだって、だからもう近づいちゃ駄目で、だからオレは彼女を作って、それが普通で当たり前で、だから、だから。 そんな風に肩肘張っていたオレが、バカみたいだ。 「なぁ。海、寄ってかねぇ?」 「いいよ。越野も、青春のバカヤローって叫びたくなった?」 「なったなった」 けらけらと笑いながらオレたちは、散々通いなれた駅までの坂を下る。この場所を、もう二度とこんな風に制服を着て歩くことはないんだと、理解はしても、実感がわかない。 仙道と帰るのだって随分久しぶりだ。だけど今こうして並べば、まるで昨日もおとといも、ずっとこうして一緒にいたような気分になる。 だからまた、いつか、こんな日がくればオレはきっと、自然にコイツの隣を歩くことができる。 砂浜には最後だからか、まだぽつりぽつりと陵南生がいた。それを気にせずオレたちも、のんびりと海の傍を歩く。 「越野」 呼ばれて振り向けば、仙道は自分の制服の胸に手をやり、ボタンをぶちんと引きちぎった。 「な、に……」 突然どうした、と言う前に、仙道が握ったこぶしをオレへ突き出す。 「やる」 にっこりと笑う仙道の自信ありげな顔に気圧されるように、オレは手の平を差し出した。そこへぽとりと仙道のボタンが落とされる。 第二ボタンだ。男同士で、渡すか普通。しかもオレ、振られてんのに。オレからねだったわけでもねぇし、コイツのボタンなら欲しがる子、オレじゃなくても山程いんのに。 もう、わけ判んねぇ。 おかしくて考えるのが面倒になって、オレは笑いながら海に向かってボタンを握った腕を振り上げた。ぶん、と音を立てボタンを投げる真似をすりゃ、隣で仙道が目を丸くしている。 「嘘ぉ。え、今べつに投げてねぇだろ? 見てたもん」 ふふん、と顎を上げて澄まして笑う仙道の腕にパンチを入れる真似をしてから、手のひらを開く。空っぽの手のひらを見て今度こそ仙道は軽く息を飲んだ。いい気味だ、ざまあみろ。 それからもう片方の手を開いて種明かしのようにボタンを見せてやると、仙道がオレにパンチのお返しを入れてくる。 「ふっざけんなっての」 本気じゃないこぶしから逃げながら、いつしかオレは声を出して笑う。つられたように仙道も笑っていて、その瞬間は楽しくて楽しくて、ああ、終わっちゃうんだなと余計になにかが胸にしみた。 そんな気分を吹き飛ばすように、オレは海に向かって声の限りで叫ぶ。 「仙道の、バカヤローッ」 突然でぎょっとしている仙道の顔が小気味いい。周囲の人間もこっちを見ているが、あー、気が済んだ。 晴ればれと深呼吸するオレの脇で、仙道も大きく息を吸う。 「越野のバーッカ!」 驚いてむっと顔を上げるオレを、海に正対していた仙道が得意げに見下ろす。 どこかで女の子たちの笑い声がした。自分でもバカだなあって思うから、端から見りゃそりゃ笑うだろ。 「帰んぞ」 青春丸出しな自分が今さらちょっと気恥ずかしくて、オレがぶっきらぼうに声をかけると、仙道もにっこり笑って頷く。 「おう」 今日で最後の制服のポケットには、仙道のボタンがある。 オレのボタンは、彼女にあげよう。彼女が今さらいいよと笑ってもいい。押しつけてやろう。 オレのことを好きな人に。ちゃんと胸を張って、オレもお前が好きだって無理やりにでも渡してやろう。 彼女に告白し直して、旅行の話に何度でもつきあおう。 そして自分よりデカイ男と並びながら、ローファー履いて砂浜を歩くこの感覚を、オレはずっと覚えておこう。 |
仙道を考えるにおいて、越野のことは外せない。 だからってあんまりだ、と思った越野ファンの方、申し訳ない。 12.08.29.UP |