薔薇がなくっちゃ生きていけない 


 
 高校三年生になり、最後の夏のIHを終えた仙道の元には、いくつかの大学から推薦の話が持ち込まれた。
 まだそれほど本気で将来というものを考えてはいなかったが、自分は大学でもバスケットをするのだと、それだけは決定事項として心にあった仙道には願ったりだ。
 その中に、海南大学からの推薦もあった。
 とりあえず見学にと海南大学の体育館へ顔を出した仙道を見つけ、久しぶりだと牧が声をかけてきた。そうして、時間があるならこのあと飯でも食おうと誘われた。
 それならと学内の案内もそこそこに、仙道は、大学からほど近い場所に部屋を借りているという牧の部屋に行きたがった。大学生の暮らしが、というよりは自分以外の一人暮らしの男の生活ぶりが見てみたかった。
 学生専用のアパートで、初めての一人暮らしで大変だと笑いながらこぼす牧に、仙道は不思議な感慨が湧く。
 今まで倒すべき敵だとしか考えたことのない牧が、自分の選択次第では先輩に、チームメイトになる。
 選抜でチームを組んだ時のことを思うと、バスケの相性は悪くないどころか、多分最高に近い。誰より早く気づき、欲しい時、欲しい場所にパスをくれる。自ら切り込み、敵のマークを引きつけてくれるおかげで外の負担は軽くなる。
 声を出さずともアイコンタクトで、時には視線すら交わさずに、自由自在にボールを、こちらの体を操る、コートでの圧倒的な存在感。
 なるほど、神奈川No.1は伊達じゃない。仙道の目からしても、牧はそう思わせるにふさわしいプレイヤーだった。
 コートの外でこんな風に穏やかに会話を交わしたのは初めてだ。国体の合宿中などにどれだけプレイで息を合わせ、話を弾ませようとも、あくまで根底ではいつか超えるべきライバルだった。
「ウチの大学にくればいい。お前とするバスケは面白い」
 総菜屋で買った弁当をそれぞれ平らげ、食後にとインスタントのコーヒーを入れてもらうと、仙道は目をぱちくりと牧を見る。
 このあとまだ、国体はともかくウィンターカップの予選で仙道は、海南を倒す気でいる。判っていながらそう言える牧に興味を惹かれた。
「……牧さん、もてるでしょう」
 つい今までバスケや大学についての話をしていた腰を折られた形で、牧が軽く眉を上げる。
「どうした。恋愛相談か」
「そうじゃなくて。……ああでも、そうなのかな」
 どこか中空を睨むように目を泳がせた仙道が、再び牧に問いかける。
「牧さん、キスしていいですか」
 ソファの縁に背をもたせ掛けるようにして並んで床に座っていた牧が、言われた言葉の意味を窺うように眉を寄せる。構わず仙道は牧の襟元に手を伸ばすと、ゆっくり顔を寄せた。
 互いに目を見開いたまま唇を重ねたあと、仙道は牧の服を握っていた手を離した。
「怒りました?」
 仙道が身をかがめ、間近から牧を見上げるように覗き込む。
「いや。べつに」
 怒ってはいない。ただ驚いた。牧がそんな言葉を続けるより早く、仙道は嬉しそうに微笑んだ。
「なら、もっとしてもいいですか」
 言いながら仙道が再び唇を寄せる。
「待て。待て待て。こら」
 咄嗟に牧は、手の平で仙道の顔を押しとどめた。
「なんだ。どういうことだ」
「オレ、キス好きなんです」
 悪びれずしゃあしゃあと言ってのければ、牧は軽く鼻白む。
「そうか。でもそんなの、お前ならいくらでも他に相手がいるだろう」
「あー。でも、女の子相手だとキスだけじゃなくて続きしなくっちゃでしょう。いいんですけどね、続きしても。それも嫌いじゃねーから。でもそうすると「アタシ仙道くんの彼女なの」って、それはちょっと……面倒くさい」
 壁の一角を見つめながら口をへの字にしたあと仙道は、今気づいたとばかりに慌てて牧に顔を向ける。
「あ、今オレもしかして、好感度下がりました?」
「落ちまくりだ」
 唖然と吐き捨てる牧に、仙道は、はははと小さく笑った。その気楽そうな様子に、牧の毒気が抜かれる。
「それで、なんでオレなんだ」
「ああ。そりゃ牧さんならもてそうだから。ファーストキスもまだなのにとか、騒がなそうかなって」
 軽く首を傾げ口の端を上げながら仙道は、以前興味本位で福田にキスをしたことを思い出す。あの時の目を見開いた福田の顔が脳裏をよぎると、今でも申し訳なさとおかしさが同時にこみ上げる。
 そんな仙道の実感のこもった言葉に、牧は眉を曇らせた。
「……誰かにしたのか」
「ええっと。……まぁ」
 はは、と決まり悪そうに仙道が頭をかくと、牧が溜息をつく。呆れたのだろう。
 漂う不明瞭な空気を察知すると仙道は、笑みを浮かべながら再び牧に水を向ける。
「で、もう一回。キスしていいですか」
 牧は、いかにもキスに慣れていそうに見えた。キスという行為がただ好きなだけの仙道からすると、たかがキスだとあしらってくれそうな気がした。
 挑まれれば逃げないだろう、とも。
 思った通りに牧が黙って首を傾ける。仙道はその反応に微笑むと、目を細めながら唇を重ねた。焦点があわないほど近づいた顔を、互いにぼんやりと見つめあう。
 軽くついばむように、唇で唇を挟むキスを繰り返す合間、仙道はそっと、空気を壊さないように囁いた。
「牧さんて、キスの時も目ぇ閉じないんですか」
 すると牧の手が仙道の後頭部へ回り、うなじの辺りを掴まれる。同時に、合わせた唇を牧の舌が割り、口づけが深くなった。
 咄嗟に引いた仙道の舌を牧の舌が追いかけてくる。歯列をなぞり、口蓋を尖らせた舌でくすぐられると、ぞくりと瞬間眩暈がした。ふと見れば牧はいつの間にか瞳を閉じている。そのことに不思議と満足し、仙道も目をつぶる。負けじと舌を絡め、牧の口中の快楽を探りつつ自分自身もキスに酔う。
「ふ……っ」
 角度をかえ、何度も舌を触れ合わせる内にどちらともなく息が上がった。それでも口づけはやまない。互いに与えただけの快楽をそれぞれに奪いながら、唇と舌が伝える感覚に陶然とする。くちゅりと小さく響く水音が耳から入り込み、理性に柔らかな紗の幕がかかる。
 やがて、はぁ、と大きく肩で息をしながら二人は唇を離した。
「キスってのはこういうのだろ」
 囁き、牧は笑ったが、瞳の奥には濃厚な口づけの余韻がくすぶっている。
「ヤベ。オレ、牧さんに惚れちゃいそう」
 濡れた唇を遠慮なく手の甲で拭いながら、仙道も上気した顔で独り言のように呟く。そのさまに牧は自分の口元を拭うと、鼻を鳴らす。
「勘弁してくれ」
「なんで?」
 つれない言葉に仙道が身を乗り出しながら、興味深そうに瞳を輝かせる。それから眼をそらさず、牧が答えた。
「……こういうキスは、そのあとをしたい人とするもんだ」
「えー? 今ので結構オレ、キタんですけど。続き、します?」
 思っていた以上の口づけは、仙道の気分を高揚させた。相手が女ならば問答無用で押し倒すところだ。男だからという理由で選んだ相手とのキスで興奮するとは、想像の埒外だった。
 キスでこうなら、続きもできるかもしれない。不思議と嫌悪感もなくそう思った。
 だが、顔をすり寄せると牧に軽くデコピンをお見舞いされる。
「調子に乗るな」
「イテ。ははは。ね、牧さん。オレが海南大に行ったら、また今みたいなキス、たまにはしてくれますか」
 横目で窺う仙道に、牧はニヤリと笑いながら握ったこぶしを見せつける。
「その前に基礎からしごいて大学バスケってもんを教えてやるよ」
「あ、それ勘弁してー」
 眉尻を下げ、気弱げな振りで笑う仙道につられたように牧も笑った。




福田とのチューは、唇がちょっと当たった、ちゅってなもんで。

12.09.08.UP

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