薔薇がなくっちゃ生きていけない 2 



 海南大学へと進学を決めた仙道は、大学生になると牧が住む学生用マンションの一室に部屋を借りた。
 そうして未だ自炊は苦手だと笑う牧を、仙道は同じマンションで部活で後輩のよしみだと、時々手作りの夕食に呼ぶ。
「一人分も二人分も、作る手間は変わんないし」
 高校時代から一人暮らしをしていたという仙道が、こともなげに言ってのける姿に牧は少なからず感銘を受けた。
「お前、偉いな」
 牧の部屋にも一応の調理器具は揃っていたが、使い慣れた自分の台所の方が楽だと言う仙道に誘われるまま、牧は土産の焼酎を片手にこの部屋を訪れる。
 平日は飲みすぎないようにとセーブしているが、炭酸は腹が膨れるから苦手だという仙道につられている内に最近は牧もビールや発泡酒よりも安い、ボトル焼酎のレモン割りに慣れてきた。
 食事の礼にと牧が食器を洗ったあと、なんとなく並んで床に座り、ベッドの縁に背をもたせ掛けながら二人で飲む。
「そういやこの前の試合で……」
「ああ、あれは凄かった」
 そんな風に穏やかに交わされる会話がふと途切れた時、仙道は今思いついたとでもいうようにローテーブルを押しやって牧を横から覗き込んできた。
「ね、牧さん」
 薄く瞼を伏せながら仙道が顔を寄せてくる。牧は拒むでもなくその唇を受けとめた。
 ただキスが好きなのだと笑っていた通り、仙道のキスは気まぐれで、頬や口、額へと唇を押しつけてくるだけのことが多かった。大型犬がじゃれてくるようなそれを普段なら軽くあしらうが、こうして二人で飲んでいる場合のキスは時々、空気が違う。
 静かにそっと口に重なる仙道の唇の柔らかさは、女性のものとそう変わらない。だが一旦舌を絡めてしまえば、そのキスは、誰とも交わしたことのないほどの熱に包まれる。
 角度をかえ、二度、三度とついばんでくる仙道の唇から伸ばされた舌が歯列を辿ると、牧は自らも舌を伸ばし口づけを深めた。
 片手を互いに相手の後頭部へ回し、首を固定しながら口の中にある快楽を何度も探りあう。
 舌を絡め、唾液を交わし、対象を征服しようと尖らせた舌で上顎をなぞれば、仙道も同じだけ牧の唇を貪った。けして乱暴ではないが攻撃的なそのキスは、牧の闘志を煽る。その感覚が女性相手の時とは決定的に違う。
 されるがままは性に合わない。
 牧が、挑んでくるような舌を甘く噛み、吸い上げて翻弄すれば、後頭部を掴む仙道の指に力が込められた。
 ぞくり、と牧の背筋を痺れるような感覚が襲う。
 何気なくはじめたキスが、まるで意味があるかのように熱を帯びる。
「ん……っ」
 一旦顔を離した仙道は、牧の正面に回ると足の間に体を無理やり割り込ませて膝立ちのまま抱きついてきた。
 Tシャツ越しに密着した体は硬くしなやかな筋肉を持ち、相手は確かに男だと実感させる。
 一体自分は、なにをしているのか。
 そう考える間もなく、仙道は牧の足の間で自分も足を広げ、互いの体を跨ぐようにして床に尻をつけて座る。それからまた頭を引き寄せ、再び唇を重ねてきた。
 先ほどまでの挑戦的なキスとは違い、仙道はなにかを確かめるようにゆっくりと舌を絡めてくる。それにつきあうよう緩やかに舌先でくすぐり、歯列を奥までなぞってやれば、吐息が色めく。
 あわさった胸から伝わるどちらのものとも知れない鼓動が、昂ぶる体に拍車をかけた。呼び起される興奮が、口づけをさらに深くさせる。
「ふ……」
 やがて仙道は牧の首に腕を回したまま、名残惜し気に鼻先同士を軽く触れあわせながら囁いた。
「牧さん、キス、うまい」
 素直にうっとりとした声を出す仙道に、牧が軽く目を細める。
「そうか」
 そっと呼吸を整え、わざと冷淡に返してやれば、仙道が至近距離で牧を見つめた。
「オレは……?」
 潤んだ瞳が続きを誘うように光っている。それが牧の体をざわめかせた。だが自分のそんな状態には気づかない振りをする。やすやすと調子づかせてなどやるものか。
「気に入らんな」
「なんで。ヘタ? オレも結構、女の子には褒められんだけど」
 挑むように微笑む仙道に対し、牧は軽く鼻を鳴らした。
「じゃあそんな女の子としていればいいだろう」
「オレとすんの嫌いですか」
「……気に入らんと言った」
「嫌ですか……?」
 背を丸め、上目使いで覗き込む仙道の長いまつげに視線が囚われる。なるほど、これはモテるだろう。体にこもる熱を散らすように、牧はわざとそんな客観的なことを考えてみた。
「嫌ならとっくにやめてるさ」
「じゃあ、なにが気に入らないんですか」
 珍しく仙道が拗ねたような表情を浮かべる。その顔を見るとまるでこちらが意地悪でもしているようじゃないかと思う。
「……判れよ」
 牧は腰へ添えていた片手で仙道のTシャツ越しの背筋を、下から上へとなぞり上げた。途端仙道が身を震わせる。
「んっ! ……牧さんがそういうことするならオレ、もっと仕掛けますよ……?」
 囁きながら仙道が顔を引き寄せ、牧の耳へと唇を滑らせてくる。吐息が耳朶をくすぐると牧は首を振った。
「冗談じゃない。それが気に入らんと言ってるんだ」
「キスの続き、……したいですか」
 囁きながら仙道が、唇を牧の瞼へと落とす。片目を閉じ、されるがままにしておきながら、牧は顔を上げた。
「お前は続きが面倒で、オレとこんなことをしているんだろう?」
 初めてキスをした時に仙道がそう言っていた。女性相手のキスはそれが煩わしいのだと。
「最初はね。でも今はあんたとキスすんのが気持ちいいから、です」
 暗に続きのことを考えないでもない、と匂わせる仙道に、牧は再び噛みつくようにキスをした。
 なにもかもが気に入らない。自分とこんなキスをしながら余裕があるように見える仙道も、キスを拒めずにいる自分も。割り切れない気持ちをぶつけるように、牧の舌が仙道の口内をかき回す。
「んっ。ん……っ」
 舌を奪われた仙道の喉の奥から、小さく声が漏れる。苦しげでありながらも甘くかすれた吐息に、理性が試される。
「お前の不埒なキスは気に入らん。……流されてそれ以上のことを考える自分も気に入らん」
 顔を離しはしたが、背中を抱き寄せた腕が解けない。密着した体は先刻から、互いの下半身にきついほど集まった熱を伝えている。ジーンズ越しとはいえ欲望の熱が触れあうことが、嫌悪よりも先に、この状態が自分だけではないという安堵をもたらす。
 仙道は表情を緩めると牧の両頬へ、そっと包むように手を添えた。
「牧さんならオレ……いいんですけどね、ホントに」
 濡れた唇を拭うように仙道が舌なめずりをする。その唇から目をそらせないまま牧は吐き捨てた。
「言うな。誘うな」
「なんで? 体だけ気持ちいいんじゃマズイですか。好きですよオレ、牧さんのキス」
 これ以上は危険だと牧の本能が告げている。本当はキスにも応えるべきではない。判っていても顔を寄せられれば唇を重ねてしまう。これは既に溺れているということなのだろうか。
「お前みたいな貪欲なヤツに、キス以上はやれん」
 そんな牧の言葉に、仙道は面白そうに目を輝かせた。
「俺、結構淡泊って言われんですけど」
「お前が?」
 あんなキスをしておいて、なにを言っている。驚いた牧がまじまじと見つめ返せば、仙道はにっこり笑った。
「でも、評判はいいですよ。男はやったことねーからアレですけど、大丈夫、牧さんもオレに任せてくれればスッゲーよくしてあげますから」
 のうのうと言い放ち、仙道が頬をすり寄せる。その台詞に牧は我に返ったように、抱きついてくる仙道の肩を掴んでとめた。
「……待て。なんだそれは」
「え? だからオレ、頑張って牧さんのこと気持ちよくしますから」
「まさかお前、オレをその……抱く気なのか?」
 冗談だろうと目を見張る牧に斟酌せず、仙道が頬や耳に唇を落としていく。
「大丈夫、牧さんでも勃つってオレ、キスで判ったんで。安心してください」
 とろけるほどに甘い声も、牧の驚愕を取りなさない。
「冗談じゃない。やるならオレが抱く方だ」
 その言葉に、牧を落ち着かせるように顔中にキスを降らせていた仙道が身を離した。心底驚いた様子で仙道は目を丸くしている。
「なんで? オレのが背ぇ高いじゃないですか」
 言いながら慌てて背筋を伸ばしてみせる仙道の耳を、牧は軽く引っ張った。仙道という男は捉えどころがないが、こういうところがどこか憎めない。
「バカ。オレのが年上だろう」
「ウソォ。そんな、こんなことまで年功序列?」
 眉尻が下がり、口をへの字に結んだ仙道の顔に牧は小さく噴き出した。男前がなんて情けない顔をしてやがる。
 笑ったはずみにこれまでの、色を含んだ空気が霧散した。
「当たり前だ」
 くつくつと喉の奥を鳴らしながら牧が仙道の体を押しのける。
 抱きついていた体から素直に離れると、仙道はテーブルに向かい、やけに難しい顔をしながら焼酎をグラスに注いだ。
「……少し考えさせてください」
 グラスの中で溶けかけた氷を揺すり、乱暴に酒を混ぜる仙道に、牧はついに声を出して笑う。
「そんな笑ってるとまたキスしますよ?」
 軽く唇を尖らせて、決まりの悪さに照れたような顔を見せる仙道に、牧は目を細めた。
「おう。お前が、抱かれる覚悟ができたらな」
 手を伸ばせば仙道は、頼まずとも牧の為にと新しく酒を注いで寄越す。好みの濃さに割られた酒は、自然と牧の機嫌をよくしてくれた。
 楽しげな笑みを浮かべる牧へ、仙道が澄ました顔を近づけてくる。
「そう言えばオレが怯むと思ってんでしょう」
 懲りない男だ。それともただの負けず嫌いか。面白い、と牧の目が光った。出方を窺う牧の手から、仙道がそっとグラスを取り上げる。
「なんだ。もう覚悟ができたのか?」
 いつまでも手加減はできん。判っているんだろう。判っていないなら、教えてやってもいい。
 今ならすべてを酒のせいにできる。
 大して酔ってもいないことを自覚しながらそう考え、牧は、近づいてくる薄く開かれた仙道の唇を見つめていた。




タイトルはMOON RIDERS 「Kのトランク」より

12.09.25.UP

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