アネキウスの子・7 翌朝、といっても私が目覚めたのは既に昼に近い頃だった。 上機嫌のトッズが、鼻歌交じりでパンとスープを寝台まで運んでくれた。 私は別に病気な訳じゃない。ただの寝坊だ。 慌てて起きようとする体を引き止め、トッズは「いいからいから」と、上体だけ起こした形で抱きしめ、私の口元に食事を運ぶ。それがなんとも照れくさい。 トッズはといえば顔中に、満面の笑みを張り付けている。私は気恥ずかしく、彼の顔があまりまともに見られない。それすら彼は「可愛い」だのと、いつもの軽口でからかってくる。 だが、悪い気はしない。あのあと彼からはちゃんと、私が望むものがもらえた。つまり彼のすべてを、だ。その事実が私の心を満たしている。 外は雨が降っているらしい。雨はアネキウスの恵み。今日の農作業はお休みだ。なら、本日はなにをしよう。 繕いもの。いつもより手の込んだ料理。彼のおしゃべりを聞きながら、藁を編むのもいいかもしれない。まだまだやるべきことはいくらでもある。 だが私はもっといい雨の日の過ごし方を思いついた。 トッズが食器を洗いに行くと、大急ぎで寝巻を脱ぎ去り、あの、もらいもののワンピースを頭から被る。 ここには全身が映るほど大きなものはないが、小さな鏡石でためつすがめつ、自分の姿が見苦しくないようにと祈りながら眺めたあと、彼が振り返るのを待つ。 「レハト。それ……」 普段おしゃべりな彼が、絶句するところを見るのは愉快な驚きだ。 トッズの頬がみるみると朱に染まる。 「ああもう! どうしたのそれ、可愛いよ、よく似合ってる。お前さんの髪が映えるよ。いつの間にそんなもの用意してたの。俺に見せようと思ってた? 参ったなこんな綺麗な嫁さん、もう絶対人前に出せないでしょ。もったいなさすぎるでしょ。こっちきてレハト。やっほう。一緒に踊っていただけますか」 丁寧になった口調とは裏腹、トッズは靴を脱ぎ棄てて、私と同じように裸足になると、こちらの腰に手を添え、くるくると体を回転させる。 彼が歌う賑やかなメロディーに合わせ、私もくるくるとでたらめに踊る。慣れないスカートは心許なかったが、やがてそのすうすうする感覚までが楽しくなってきた。 声を立て笑いながら踊り終えると、私は喉が渇いたと台所へ向かおうとした。その私の背中から、彼が腕を回して抱きしめる。 「レハト、レハト。レハト。……俺のもんだ。もう逃がしゃしない。できもしないくせに諦める振りをすんのもやめだ。どうせ爺の真似なんて柄じゃなかったんだよな。レハト、お前は俺のもんだ。そのかわりお前は俺を、好きにしていい。煮ようが焼こうが自由に使って。どうせお前さんに拾われた命だ。最後の瞬間のその時まで、俺の全部はレハト、お前のもんだ」 彼の言葉は常と変わらないほど流暢だが、その中に沢山の本当がつまっていることを知っている。 彼が、私のものであるということ。私が、アネキウスのものでも民衆のものでもなく、ただ、彼のものであること。 それがどれほど私を嬉しがらせるか、彼はどこまで判っているだろう。 この思いを伝えなければ。もう彼の顔に唇を寄せても逃げられないはずだ。 そのまま、私が振り向き実行する前に、背後から抱かれた形で、耳慣れない名前を囁かれた。 「俺の、本当の名前」 私を抱く彼の手に、少しだけ力がこもった。 大事な、彼の、本当の名前。 私はそれを教えてくれたことに関する感謝だとか、音の響きへの感想だとか、なにか言葉を探そうとして……結局、ただ彼の手に自分の手を重ね、今聞いたばかりの名を舌に乗せた。 「うん」 彼が素直に返事をしてくれる。とぼけるでも、からかうでもない。彼の本当の名前なのだ。 単純な私はそれだけで、胸がいっぱいになる。 またしても泣きだしそうになり、自分の気をそらそうとして、私は先ほどの彼の言葉を考えてみる。 彼のすべてを好きにしていい。それはなんと甘美な殺し文句だろう。昨夜は暗くて、彼の体があまり見られなかった。 私は彼の体が見たい。私を守り、剣を、矢を受けた、傷のすべてが見たい。 そのひとつひとつに口づけし、アネキウスの子として彼に祝福を授けるのだ。 そんな私の野望を告げると、彼は再び目を丸くしたが、やがてにっこり笑って寝台まで手を引いてくれた。 本格的なアネキウスの祝福は、徴のある私にしかできないこと。彼と世界を共にする、異質ではない女たちになど、負ける訳にいかない。 これからトッズ……いや、彼に、寵愛者の本気を見せてやろう。 その為の二人の時間は、まだまだこれから、たっぷりあるのだ。 私は彼の名前を繰り返し呼ぶ。 愛を込め、祈りを込めて。 |
なぜこんなトッズになったというと、支援版購入してもまだ、一心同体ができないヘタレゲーマーだから。 しかし支援版は最高、いいよ! 12.05.21〜05.26 pixivにUPしていたものをサイトにも収録 |
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