ただただすべてを・11

「近藤さん」
 静かに土方の声がした。いつの間にか眠っていたらしい近藤は、ぼんやりと意識が戻るのは感じたが瞼をどうしても開けられずに、眠いんだ寝かせてくれよと寝入りながら思う。
「……入るぞ」
 声に続いて障子の開く音がする。
「寝てんのか」
 言いながら暫くためらった気配の後、障子を閉める音に畳を踏みしめる足音が続き、紫煙の香りが漂った。
「明かりも点けねェで」
 小さな呟きが耳に入る。
 なんだ。もうそんな時間か。
 それからまた沈黙が訪れ、意識が深い眠りに沈んで行きかけた時に、頬に触れる手を感じた。指先がきゅ、と頬骨の辺りを引っかく。汚れでも付いているのかそこを何度も擦るのがくすぐったい。
 んん、と自分でも、眉間の皺が深くなるのが判る。と、指の背で、すう、と宥めるように頬を下から上に撫でられた。穏やかなその調子が気持ちいい。
 暫くそうして輪郭を緩やかに辿っていた手が、そっと唇に押し当てるように触れる。
 すぐに離れた指先からは、嗅ぎ慣れた煙草の匂いがした。
 あ、と思った時には、近藤は首の後ろがざわめくのを感じた。
 今のは、きた。
 限界だ。
 いい歳した男がお前、二人揃って何やってんだ。
 ……俺がお前を好きでお前が俺を好きで、そんだけでもう、いいのか? その気持ちに嘘がなけりゃお前を、お前を俺のモンにしちまっても、いいのか?
 限界だ。ああもうまったく。
 お前も相当限界で、駄目だ俺も限界だ。我慢が出来ねェ。
 お前の為だ俺の為だ言い訳して無理やりにでも自分を納得させて、そんなのもう我慢出来ねェよ。
 歪んでんのは俺で、そんな事に付き合わせてお前の一生を縛り付けて、そのくせお前の人生に責任なんざ取れないからって逃げてんのも俺で。
 なのにトシ、お前なんでそんな可愛いの。
 なんでそんなに俺が好きなの。
 眠気はどこかに飛んでいた。近藤が瞼を開くと、知らず溜まっていた涙が両のこめかみをぼろぼろと伝う。
 日は既に落ちているようだが、まだ夜という程には暗くはない。だが部屋に明かりは灯されておらず、影が徐々に輪郭をぼやかせていた。
 近藤が上体を起こす。暗さに土方の顔がはっきりとは見えない。
「トシ」
 言いながら何故か溢れている涙を拭う。
 あ、起きたか、と先に目が慣れ見ている中、すん、と鼻をすする近藤に、土方はさすがに驚いた声を出した。
「泣いてんのか?」
「わかんね」
 近藤は、泣いてる訳じゃねェんだこれは水が出ただけなんだ、とシャツの袖で顔を拭いた。実際一度拭ってしまうと、涙はそれ以上には零れてこない。
 寝惚けてんのか、俺は。ちらりとそうも思いはするが、もう考えるのはやめだ。
 起きたんなら明かり点けるか、と立ち上がろうとする土方の腕を、近藤が掴んで引いた。
「あぶねっ」
 土方が態勢を崩し、坐る近藤の胸に倒れ込む。




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