ただただすべてを・12

「トシ」
 掠れた小さな声で呟き、近藤はきつく土方を抱き締めた。
「近、藤さん」
 訳が判らず目を白黒させながらも、土方は近藤を宥めるように腕を回すと頭をぽんぽんと叩く。
「どうしたよ?」
 恐い夢でも見たか? 仕方ねェなァ。言いながら薄闇でこちらの顔色を伺う土方に、近藤は囁いた。
「好きだ」
「何が」
「お前がだよ」
 その言葉に刹那、土方が考え込むように眉根を寄せる。
「うん。……そうだな、大丈夫だって。改まって言わねェでもちゃんとアンタの事、俺も好きだって」
「そうじゃねェよ」
 焦れた近藤が畳に土方を引き倒した。
 部屋は暗さが増し、驚き見開いた目だけがぼんやり浮かんでいる。
「こういう、好き、だ」
 互いの表情がはっきりとは見えないのをいい事に、近藤はのし掛かり耳元に自分の鼻先を擦り付けた。
「アンタ、何言って」
 体を強張らせ、驚き動きを止める土方に「好きだ」と近藤は繰り返す。
「ちょ、と」
「好きだ」
 こつ、と額にガーゼを貼っていない部分の額を当てられると、土方はもう堪らないと首を竦め目をきつく閉じた。近藤のものだろう消毒の匂いがキツイ。
 さっきまで寝てたくせに。何がなんだか判らねェけど何だよコレ。何寝惚けてんだ誰と間違えてんだアンタ俺を誰だと思ってんだ。
「トシ」
 至近距離で名前を呼ばれる。重いし熱い。身動きが取れない。
「目ェ開けろよ」
 だったらどいてくれ。そう思いながらも恐る恐る土方は目を開いた。
「嫌なら、逃げろよ」
 言うと近藤の顔が再び近付く。あ、これは、キスされる。そう思うとかっと全身が熱くなり、汗が噴き出した。
 判る。自分の顔は、顔だけじゃないもうきっと、耳まで真っ赤だ。こっちが泣きそうだ。何だ一体。口のひとつも吸った事のない生娘じゃあるまいし。だからって何だ。なんでこんな。
 土方は必死に近藤の背に腕を回し、シャツを後ろへと引いて自分から剥がそうとする。
「離して、くれっ」
「……ヤダ」
「なんで!?」
 逃げろって言ったくせに! 興奮して涙目で必死に睨み付けると、近藤の顔も、やや赤いのが判った。
「だって離したら、逃げるだろ?」
 逃げるよ! だってもう全然判んねーけど何だよドッキリかよ俺アンタにキスされて正気でなんていらんねーもん、そしたら俺が……どう思ってるかバレるだろ!? てか何だアンタ気付いてんのか? バレた? なんで。そんなだってそんなのって、一体いつから。
「嫌か?」
 近藤の指が、土方の額にかかる髪を優しく梳く。
 そんなそんな、そういう事は、しねェでくれ。なんでそんないきなり。何の夢だ。
「トシ」
 低い掠れた声の囁きの後、逃げる間もなく口付けられた。一旦は開いた目を閉じ、歯を食い縛る。
 近藤は何度か角度を変えては唇を押し当て啄んだが、土方の唇が緩むことはなく、それどころか。
「息。お前してるか?」
 真っ赤になったまま動かなかった土方は、そう言って近藤が顔を離した途端、思い出したようにぷはぁっと呼吸を再開し、大きく胸を上下させた。さすがに照れくさいのか潤んだ目を背けている。
「お前……」
 あり得ない。何だコレ。可愛い。無茶苦茶可愛い。
「トシィ」
 ぎゅう、と近藤は名残惜しそうに強く抱き締めると、いい加減重くならないようにと体を土方の脇に転がした。途端、そわそわ逃げ出そうとする腕を掴み、思い切り自分の方へ引く。
 力の入りきらない土方の体は、すぐにころんと転がり近藤の胸に捉えられた。そのまま近藤と向かい合わせに腕の中に閉じ込められる。部屋が暗いのだけが救いだった。
「好きだ」
 沈黙に耐えられないように、近藤が繰り返す。何度目かの囁きに「勘弁してくれ」と土方は逃れられないならと顔を隠すように近藤の胸に寄せながら呟いた。
「あ、アンタは、女は?」
 汗とも違う近藤の香りに包まれ目が回りそうに興奮しながら、思考が纏まらないままに、喉の奥から言葉を紡ぐ。
「ん?」
 頬擦りされる。髭がちくちく当たる。くすぐったい。恥ずかしい。見慣れた顔が近すぎる。恐い。逃げたい。ヤバイ。……駄目だ死にそう。
「俺は、男だぞ。判ってんのか」
「うん。トシだから」
 現実感がない。なんだかどうも他人事のようだ。またいつもの近藤の「誰それに惚れた話」を聞いている気分だ。息がかかる位顔が近いし腕の力は強いし、抱き締められてると暖かいけど。回された腕は重くてアンタのデコは消毒臭くて、そうだアンタそれ頭かなんか打っておかしくなってんのか? 前の記憶喪失みたいな? でも夢にしちゃ妙なトコまで細かいし、困る、夢じゃねェだろコレ。




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