ただただすべてを・5

 それから数日後。
「お、山崎」
 呼びかけられ振り向くと、ちょうどそこに近藤がいた。左のこめかみの辺りを布で抑えているが、その手拭いが赤く染まっている。
「どうしたんすか!」
 屯所の庭で、一人振り回していたラケットを投げ出し、山崎がすわ出入りかと駆け寄った。
「なんでもねェ。けど、丁度いいや。救急箱持って部屋来てくれるか? 他の奴に見つかんねェようにな」
 そう言って近藤はさっさと裏の勝手口へと回る。そこでようやく山崎は、近藤の怪我の原因がいつもの事かと少しだけほっとした。とはいえ怪我の程度によっては放り出しておく訳にも行かない。大慌てで、それでも足音は殺して自分の部屋に寄り、ラケットの代わりに救急箱を持つと、手をよく洗い、ついでに風呂から木桶と新しい手拭いを失敬し、近藤の部屋に向かった。
「山崎です」
 障子の前で声をかける。
「おう」
 応えに山崎はさっと体を部屋に忍び込ませた。
 障子は締め切ってあるが、昼過ぎの春の日差しが明るく室内を照らしている。いつもは几帳面な、近藤の上着が脱いで放り付けてあった。
 何度か当て直したのだろう、胡坐をかいて坐る近藤に丸めて握られた手拭いは、どこもかしこも血に汚れている。
「局長、またですか」
「悪ィ」
 抱えた荷物を置くと救急箱を開き、近藤に近寄る。
「ちょっと見せて下さいよ」
 声をかけながら近藤が抑える布を取った。左の眉の上が深くはないが長く切れている。
 しっかり布を当てていたのか、血が滲んではいるが派手な出血は止まっているようだ。
 それでも洗ってはいないようで、両目を閉じ大人しくしている近藤の顔の特に左側には、こびり付いた血があちこち薄く固まっている。
「血は出たみたいですけどね、傷は大した事ないですよ」
「そうか」
 手早くガーゼを切り、傷に当てると「ここ抑えといて下さいよ」と本人に抑えさせ、山崎は用意した木桶にポットの湯を入れ、新しい手拭いを入れた。
「で、今日はそれ、短刀でも食らいましたか」
 救急箱の専用鋏で湯に潜らせた手拭いを引き上げ、絞って少し冷ます。
「いや。第一弾の菓子入れといつもの薙刀まではかわしたんだがなァ。続く灰皿でうっかりスパッと」
 瞼を開き、近藤が楽しそうに笑顔を見せた。
「血だらけで何笑ってるんですか。ほら顔拭きますよ」
 灰皿にしちゃまた綺麗に切れたもんだ、どんなスナップ利かせてんだと感心しながら、山崎は顔の汚れを落としていく。
「懲りないっスね、局長も」
 呆れ声の山崎に、近藤は少し困ったような顔で顎鬚を所在無げに弄っていたが、左の目を閉じた顔でちらりと山崎を伺った。
「トシには言うなよ」
「言いませんけどね」
 でもこれ、絆創膏じゃ隠せませんよ。血も止まってるみたいだし顔だし傷口も綺麗なんでね、縫わなくてもいいですけど。とりあえず今日一日はガーゼ剥がしちゃ駄目ですよ。
「バレますよどうせ」
 怪我した局長見たら、また土方さんの機嫌が悪くなるなァと少し近藤を恨みがましく思い、山崎はつい意地悪も込めてそう言った。
「でもなァ。毎日全部避けてると、お妙さんも気ィ悪くすんだろ」
 コレも打撲で済むかと思ったんだがなァ。のうのうとそう言う近藤の、声にも顔色にも自慢の色はなく、一瞬本当にわざとぶつかってやっているのかとも思うが、結局はなんて負けず嫌いのポジティブシンキングかというところに落ち着くと「目ェ閉じてて下さいよ」と消毒薬を思い切り噴きかけてやる。
「なんであの人なんスか」
 ずっと気になっていた事を、山崎は何気ない振りを装って尋ねてみた。
「んー?」
 傷か、垂れた消毒が目にでも沁みたか、イテテテテ、と呟きながら近藤は両目をきつく、皺が寄る程閉じたまま、「だってお前、お妙さんは俺の尻毛も愛してるって」と、言ってのけた。
「違うでしょ。それは好きな男にケツ毛があったらケツ毛ごと愛しますって事でしょ」
 局長の事限定で言った訳じゃないでしょうが、これだからストーカー脳は。
「ちょっとお前、何ヤダ、見てたのねェ現場見てたのォ!?」
 見てねェよお妙さんに聞いたんだよってかアンタ最初飲んで自分でそう言ってただろが。記憶捏造してんじゃねェよ。
「あれは、菩薩だよ」
 何を思い出しているんだか、にやにやし始める近藤にうんざりしながら山崎は「ケツ毛愛したら菩薩ですか」と真面目な顔で聞いてみる。
「アレ? じゃァお前山崎、俺のケツ毛愛してくれる?」
「それは無理」
「ほら見ろやっぱりィ! 俺のケツ毛を愛してくれんのはもう菩薩だけだお妙さんだけだ!」
 うるせェよゴリラ。話思いっきりループしてんじゃねェかなんだよ午後は赤丸思いっきりかよ、のみもんたに電話相談しろってかコノヤロー。




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