青空の人・3 翌日、稽古を済ませ昼食や掃除を終えると、近藤が又借りしている貸本を返しに行くというのに、土方も付き合って屋敷を出た。 気が逸って落ち着かないらしい。近藤が、本を借りていた礼を言い、家主と世間話をしている間も土方は妙にそわそわと部屋を見渡し、真剣の代わりに木刀を置いた刀掛けを物言いたげに眺めたりしていた。 帰り道、「ちょっといいか」と言う土方に誘われ、風のない暖かな陽気に、道場を見下ろす位置にある日当たりのいい丘に二人して腰掛ける。 「で、どうしたよ」 道場じゃ言えねー事? と近藤が首を傾げ窺うように土方を覗き込んだ。 「うん。……なァアンタ、人斬った事って、ある?」 襟巻きに口元まで半ば顔を埋めながらそう言うと、土方がじっと近藤を見つめ返す。 唐突な質問に軽く鼻を鳴らした近藤は、土方をまじまじと見た。 「……あるよ。あんまいいもんじゃない」 視線を眼下の道場の屋根に移すと、当然だけどな、と近藤は口元に苦い笑みを浮かべる。知らねーなととぼける事も、大した事ァなかったぜ、なんて嘯く事もできたが、この男が自分へ向ける全面的な信頼を帯びた瞳に、嘘や冗談で誤魔化す真似はしたくなかった。自然口が重くなる。 そんな様子をどう思ったか、ためらいがちに、それでも土方は尋ねた。 「誰、とか、言いたくない相手?」 真剣にこちらを窺う顔に、近藤は少し気まずそうに目をそらす。 「さァ? 知らねー奴。誰だったんだろ。俺には悪い奴だったんだよ」 斬らずに済ませる方法はなかったか。アイツにも親兄弟や、下手すりゃ嫁や子供がいたかも知れない。根っからの悪人がいるとは信じたくねェ。それでも。 覚えている、肉を断つ感触。目を見開き、驚いたような顔で袈裟懸けに血飛沫を上げ倒れた男。 何度も繰り返し思い描いたせいで、却って思い出せない、後から己が付け足した記憶を、近藤は努めて他人事のように反芻する。 沖田が近藤の道場にきたのは「強くなりたいから」だった。 聞けば近藤からすれば羨ましいような、その可愛い容貌をからかわれるのが嫌で堪らないという。 近所の子供と喧嘩ばかりを繰り返し、多勢に無勢、勝てない勝負にそれでも挑み、怪我ばかりしている沖田を姉のミツバも心配していたと後に言われた。ある日道端で一人遊ぶ沖田を見つけ、家まで送った近藤の道場なら入門料や月謝も何とかなるかと、通う事を許可したらしい。初めの頃こそ人見知りか、黙ったままで尖ってはいたが、一緒に木刀を振り丸太を振りする内に近藤に懐いた。口の悪い生意気さは照れ隠しかと思えば性分のようで、懐けば懐く程に悪戯を繰り返し近藤や祖父を困らせたが、それ以上に、走り回る沖田の姿は微笑ましく、本人に言えば決まって膨れっ面を作りはするが、実際に可愛いかった。 「総悟がな。ウチ通い始めスグ位ん頃、かどわかしに遭った事があってなァ」 何でもない事と、何でもない事にしたい事。 わざわざ自ら話す事ではなかったが、この男が聞きたいならこんな場合だ、話してもいい。隠していた訳じゃない。 近藤は手持ち無沙汰に手元の短い草をぶちぶちと千切り、指を捻ってくるりと何度も葉先を回した。 「身代金ってよりゃァ攫った子供をどこぞに売り飛ばす連中だったんだがよ」 俺が斬らなきゃあの時総悟がどうなってたかなんて判らねェ。もう一度あの時に戻れたとしても俺はまた、あの男を斬るだろう。百回戻りゃァ百回斬る。そう思った時に悔やむのはやめた。悔いているとすればただ一つ。 言葉を選び、目線を手元の草に落としたまま、訥々と近藤が口を開く。 「見つけて、まァ、総悟も無事取り戻せたし、それでヨシなんだけどさァ」 「その相手を……?」 ごくりと喉を鳴らす土方に、近藤はようやく顔を上げ、「昔の話だ」と鼻先で、当時を嘲るように薄く笑った。 |