青空の人・4

「斬った事ァ悔やみはしねえけどよ。総悟のな。……目の前で斬った」
 その時は仕方がなかった。年老いた師範に留守役を頼み、ミツバと二人で片っ端から探し回った。ヤクザ紛いの下ッ引を、宥め、持ち上げ、脅しすかしして心当たりを聞き出して、相手がどうやらプロの誘拐犯だと判ってからは、ミツバを退け、単身走った。溜まり場らしいと言われたそこを引き払われ、絶望的な気持ちになりながらも近藤が追えば、子供連れで足が鈍ったか、山越えの道にやっとの事で沖田をおぶった男達を見つけた。
 相手は三人。近藤に呼び止められ、逃げられないと判ると、背で眠る沖田を放り出し向かってきた。侠客らしく長脇差を振るってくる相手の一人に、細い山道を幸いと対峙し、斬った。
 ぎらりと光を弾く白刃。倒れる男。引き攣った声。逃げる足音、白昼の砂埃。
 何やら怪しい薬を嗅がされていたらしい沖田が、投げ出された衝撃に意識を戻し、こちらを見ていた瞳を覚えている。柔らかな桃色の頬へ、素直に切り揃えたはしばみ色の髪へ、飛んだ鮮血。
 気付けば姿を消していた残り二人を追うより何より、近藤自身動転しながら沖田を抱え上げ山を下る途中、距離を置きながらも心配で付いてきていたミツバに出会った。
 小さな手でぎゅっと近藤にしがみついていた沖田は、それまで近藤の問いかけに首を振る事はあっても、口を開きはしなかったが、その姿にようやく安心したのか声を上げて泣き出した。
 可哀想な事をしたと思う。子供心にトラウマにもなるだろう。近藤でさえその後幾度も夢を見た。
 翌日近藤は、自身番などと洒落た物のない片田舎、事情を話し、名主と連れ立つと現場の山道へ向かってみたが、既に男の姿はなかった。仲間の男達が始末したのか、飛んだ血液を隠したと見られる、不自然な形に土が撒かれていたのだけが名残りだった。
 ひょっとして生きていたのか。手傷を負わせただけだったのか。それこそありゃァ、悪い夢か。
 違うだろうなと近藤は、不思議な事だが確信していた。
 あの男は確かに死んでいた。俺が殺した。人を斬ったのは初めてだったが、手応えは判る。
 なにより俺ァ、倒れた男の目ェ見てンだよ。
 それでも死体もなく、近藤の氏素性や今回の騒動の原因を周知している名主の判断によって、この事件はなかった事となる。
 近藤は、自身が潔白であると身の証を立てる決意をしていたが、その言葉に拍子抜けしつつも安堵した。
「その後暫く総悟は熱出してな、それっきり当時の話はしねェしまるで忘れっちまってるようだけどよ」
 若い女手一つで姉弟二人の生計を立てる為、仕事を休んでばかりもいられないミツバに代わり、ウチの道場で休めばいいと近藤が沖田の看病をした。
「熱ぅ出してる合間によ、「近藤さん近藤さん」って泣きながらうなされてなァ。恐かったろうに、手ェ握ると「今度は僕が守る」って。「おねーちゃんも近藤さんも僕が守る」なんてな」
 近藤の、多くはない言葉を聞き逃さずに済むように、耳をそばだて、精一杯想像力を働かせていた土方は、普段いいようにからかう年下の先輩の顔が浮かんだか、鼻を鳴らし、わざと軽口を叩く。
「へっ。可愛いところもあるんじゃねーか」
 返り血を浴びた着物は洗っても汚れが取れず、乾くと褪せた茶の染みになった。染め直しに出すかとも思ったが、結局雑巾になり、焚き付けになった。
 すべてがうんと昔の話だ。それは、終わった事だ。
 土方の口調に力を得、近藤はふうと深呼吸をする。
 日常だな、と思った。土方がそこにいるというだけで、近藤は自分がどこか明るい場所にいる気持ちになる。土方がこちらを見つめる顔が眩しげだから、というのは自惚れか。
「だろォ? ……でもな。「アイツら全員殺してやる」「全員、全員斬ってやる」ってその後もやっぱりうなされててなァ。俺はこんな小せェ子の人生に、痣ァ付けちまったんだな、てな」
 だから人斬りなんて、やっぱ気持ちいいモンじゃねェよ。
 ミツバには沢山礼を言われ、一度だけ「目の前、だったんですね」と呟かれた。恨み言のつもりはなかっただろう。ただの確認のような、何か自分を納得させようとするような呟きだった。
 沖田はそれまで以上に剣へのめり込み、自然近藤にもますます懐いた。近藤とミツバが顔を合わす機会も増え、付き合いも多くなった。
 元々近藤はミツバの事を憎からず思っていた。器量がよくて愛想もいい。若い身空で世帯主となり、どこか丈夫と言い切れない体で、それでも笑顔を絶やさず弟の面倒をみている。




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