罪を数え 量り 罰を与える・5 「やったァ。車、何台増やせます?」 「車両台数はそれ程ではないが、大幅に隊士の増員ができそうだ」 無邪気に喜ぶ顔につられて笑顔でいれば、土方は「とりあえず汗流してこいよ」と近藤に声をかけた。 「おう。先生、風呂行ってくるんで後で部屋ァきて下さい」 汗で色の変わった自分の紺地の稽古着をひょいと覗いて、近藤は軽くこちらへ手を上げ風呂へと向かう。土方のこめかみにも、薄らと小さな汗が浮かんでいた。今日は風がない。湿度の高さにいっそ一雨くればと思う。 再び二人になったところで、土方がぽつりと呟いた。 「アンタんトコの、あれァ随分遣えるな」 顎で示された道場の壁沿いに正座する中に、僕が声をかけ入隊した男がいる。勤勉、真面目、実直。剣だけでなく槍や柔術も遣う男だった。 「彼は、努力家ですから」 知恵者ではないがその分熱心な勉強家だ。僕がこういった荒くれ者の組織に溶け込むには丁度いいと呼び込んだ。 「あーゆー男ばっかならいいんだけどよ」 言って意味ありげにこちらを見る土方に、僕は不敵に微笑んだ。 「どういう事です?」 この男といると神経がチリチリと張り詰める。それがいっそ心地いい。この男は僕の腹蔵をどこまで見抜いているのだろう。 隙なく僕に目を光らせる様はお見事だ。 「頭ばっか多くても山で迷子にならなきゃいいが、てな」 船頭多くして、船、山に登る。簡単な当て擦りに気付ぬ筈もないが、敢えて僕は肩の力を抜く。 「迷った時こそ、知恵が必要だ」 土方が僕に向ける対抗心は、判らないでもない。何せ名ばかりとはいえ、組の長(おさ)がお人好しの近藤だ。僕の地位がどんどんと上がり、今は副長と肩を並べる参謀となった。僕を慕う隊士も増えている。累卵のごときにあって土方も、自分と組を守るに必死なのだろう。実質、この組織は土方の涙ぐましい懸命な統率で成り立っていると既に僕は踏んでいる。判らないのは、何故この男がそれ程に近藤を上へ立たせるのかという事だ。 最初から土方自身が統べればいいものを。 政治が苦手と言うが、戦術的には長けている。潔癖なのか。それともわざと静観し、僕の手腕を試し中か。 「頭は一個、お天道さまに向いてりゃいいんだよ」 太陽なんて雲や闇に覆われる不安定なものだけを頼ると言うのか。ならば土方、君の感覚は夜には役立たずだ。それにしても存外他愛ない、子供染みた事を言う。 「何がおかしい」 思わず溢れた失笑を、土方に見咎められる。その顔にはつい今まで機嫌よく道場を眺めていた様子はない。正直な男だ。こんな調子で今まで官僚と渡り合ってきたとすれば、まさに今までの真選組の名声の低さは、君の努力の賜物だ。 これからは、僕が時代を作る。 「君は、近藤さんをどう思っているんだい?」 本音を言え。 僕はこれ以上笑いが零れないよう、口元を引き結ぶ。 目的はなんだ。君も近藤を、都合のいい木偶人形と思っているんじゃないのか。ならば話は早い、手を組まないか。僕はそんな事を考えていた。 近藤を追い落とすのは容易だ。その歳で元道場主であるならば一角の人物かと思ってはいたが、所詮は田舎の名も知れぬ流派、ただ健康な男子が跡を継いだに過ぎないのだ。 「なんの話だ」 本気で手を組む必要はない。ただいつしか僕が局長へと上り詰めた時に、土方なら優秀な補助者となるだろう。彼の手助けも一時でいい。僕は今の真選組レベルの組織に、未練も思い入れもない。だが、もっと強大になれば。僕ならこの組織をもっと生かす事ができる。比類なき強さを誇りつつ、幕府内政の深層に潜り込む。 それにしてもこの男といい、そして今道場で飛び跳ねる沖田といい、何故そこまで近藤を立てる。 世話になった道場主。師範。廃刀令の憂き目から幕府での役付きとなるまでの恩。果たしてそれがすべてか。 近藤は本当に人の好さだけで、新設された特別警察、対テロル組織、真選組局長へと成り上がったのか。 沖田の実力は見た通りだ。今もあの小さな体で、飛びかかる五人どころではない数を、それぞれいいように振り回し、追い詰め、弾き飛ばしている。動きも早い。 そして何より彼の凄いところは、剣をそれ程までに操りながらも剣に固執しないところだ。 実戦で沖田は主に重火器を使う。しかも人や建物に向け発砲するのに一切の躊躇いがない。彼は正に天才と気違いの、紙一重の場所にいる。彼がもし反体制組織側の人間だったならと思うと、いくら僕でもぞっとする。 「僕は君を買っているんだよ、土方くん」 だから失望させないでくれよ。田舎者がお山の大将を担いで仲良しごっこをする時期は、そろそろ終わりにしてもいいんじゃないのか。君のやり方もまだまだ甘いが、近藤より直接僕と手を組めばいい。 君は近藤の単純さとは違う。もっと鋭い野心を抱いているんだろう? 成したい何かがあって今この場所にいるんだろう? 土方、君は本能のまま牙を剥けばいい。 不思議な事に土方、君の事は理解できる気がする。君の目敏さも警戒心も、僕にはとても近しいものだ。立場上孤立する事の多さまで似ている気がする。 手垢に塗れた俗称で言うなら、天才の孤独。 「後学の為に聞かせてくれてもいいだろう。君は随分と彼に心酔しているが、果たして何故だろう」 確かにあれは便利な男だ。矢面に立たせ裏から操るには手頃といえる。だが。 見込み違いか。土方という男はそれだけの人間か。与えられたものだけを甘受する、そんな優男を気取るつもりか。 「大将は一人なんだよ」 言うと土方は軽く笑った。聞き捨てならない。君の忠誠心は幕府ではなく近藤へのものか。そう言って難癖を付けるのは容易いが、呆れてそんな気にもならなかった。ただ、自分以外のものを信じるなんて馬鹿な男だと毒を抜かれた。その時は、下らないと内心唾棄して、そんなにも手放しで誰かを信じる事ができる、それを羨ましいと思う言葉すら意識の表層には浮かばなかった。 「書類を揃えてから近藤くんの部屋へ伺うよ」 そう言ってその場は別れた。 僕がそれを見たのは、その後だ。 一旦自室へと戻った僕が近藤の部屋へ向かう時、開け放たれた障子の中に二人の人影を見た。 真っ赤に焼けた陽が、影を周囲に伸ばしながら沈んで行く。 たそがれとはよく言ったもので、強い西日に視覚が奪われるが、シルエットでもそれが近藤と土方であると判った。 見るともなく折れた廊下のこちらから眺めていると、その景色は目に飛び込んできた。 土方が煙草を持っていない方の手で、近藤の着替え直したらしい隊服のシャツを引く。風呂上りらしく、うちわを使っていた近藤が軽く首を横へと傾けた。近付いた耳へ土方が何事か囁く。頭を戻した近藤が、ひそと土方へ耳打ちを返す影。途端土方は近藤の腹へ肘を入れる真似をする。間一髪かわした近藤は何やら土方の髪を掻き回した。 彼らは互いに、似合いではあった。容姿も性格も、正反対がゆえに補い合っている部分があった。 そうしてじゃれ合っている姿は、仕事場である事に目を瞑れば微笑ましいとすら言える。 なのにその、一連の仕草が、不快だった。 あの二人。なんだあの空気は。嫌なものを見た。そう思った。この嫌悪感がどこから湧くものか判らない。違和感の正体はなんだ。あの二人がああして一緒にいるところなど珍しくもない。近藤が笑って周囲の男と小突きあう姿などいくらでもある。何がおかしいのか。奇妙に歪んだ、ベタ付いた空気。 判らないままに見ていれば、視線に気付いたか近藤がこちらを見た。つられたように土方もこちらへ顔を向ける。逆光に目を眇めた顔と確かに目が合ったかは判らないが、僕は止めていた足を動かし、廊下を回ってそちらへ近付いた。 室内に入ってしまえば、眩しさに慣れた目に妙に世界が薄暗い。 そんな中、土方が見慣れない顔をしている。 拗ねたような、決まり悪いような。その裏返しか、こちらを見上げる目の奥に敵視する険がある。なんだろう。まるで近藤の番犬だ。 美しい忠誠心。それだけだろうか。 近藤はにこやかにしている。常と変わらなく思える。けれど何かが、どこかが違う。 自己完結した排他的な世界。 そう感じた理由が判らない。近藤は笑っている。何がいつもと違うんだろう。 湿度が高い。蒸し暑い。背筋を汗が伝う感覚にぞっとする。思考に蒙昧な幕が降りる。 近藤の表情の意味が読めずに落ち着かない。不快だった。居心地が悪い。と、いうよりいっそ居場所がない。 釈然としない。何が違うのか判らないまま、棘が刺さったようにいつまでも小さく神経を苛立たせる。痛みはない。その分、傷の場所が判らない。 彼らと、隊士の中でも沖田を交えた三人は、特に付き合いが長いという。僕だって自分が他人のすべてを判るとは思わない。 けれど時々、近藤の呼吸する空気が、違う。イメージにずれがある。それは近藤が誰といる時にもあるものではなく、ただ、土方と話す時にだけ薄く見え隠れする。 そして何より、土方の顔。 胸の内で原因を探りながらもその時はまだ、二人の間に存在する、特別な世界に気付いていた訳ではなかった。 |