罪を数え 量り 罰を与える・8



 盛夏を過ぎ、朝晩はいくらか過ごしやすくなったとはいえ、まだまだ暑い季節だった。近藤を訪ね、長官の松平が屯所へ現れたという。
 いずれ僕を呼びにくるだろうと高を括っていたが、いっかな声がかからない。その内玄関先で松平が何やら言っている様子が窺えた。
 帰るのか。一体何の用だったんだ。
 気もそぞろ、手元の本に集中する事もできずに、結局僕は自ら出向く事にした。
 冷房の効いた客室は涼しくて、ようやく人心地だ。それでも神経が小さく尖るのは、その場に近藤のみならず、土方がいたからだ。
 二人して僕を呼ばずに、長官と何の話をしていた。
 その時は机にあった釣り書きから、近藤の見合い話と知れた。だが、近頃僕への反感を隠さない土方が席を立った後も、苛々は治まらなかった。
 腹立ち紛れに、元より大して判らない、近藤の髪を乱れていると触ってやった。勿論、乱したのが土方だとカマをかけてだ。二人して僕が何も知らないと笑っているのか。君達は本当に、僕が思う腐敗した関係であるのか。この期に及んで二人の関係を誰にも相談できず、否定されたいとどこかで願う自分の、なんと愚かな事か。
 僕は自身に感じる醜い感情を、すべて上手く紡ぎ直し、近藤への憎悪へすり替える。今はたまたま彼が、身の程知らずにも局長を名乗るのですべてを近藤ゆえにしていたが、こんな負の感情を操るのは僕には慣れたものだ。
 それ程僕の周りには、今までにも馬鹿しかいなかった。
 近藤を偽るのは、楽しい。馬鹿が僕を信じる様子が好きだ。欺かれていると思い至らない、思慮不足の盲信。
 さあもっと僕を喜ばせろ。
 ふ、と近藤の表情が変わった。面白い、何を言うのか。気配を探り、僕は口元が緩みそうになるのを堪えながら近藤の顔を見た。
「先生」
 呼びかけに、辛うじて近藤の目を見つめ返したが、近藤への内心の嘲りや、どう答えるのかと期待が膨らむのが押さえられず、思わず目を伏せてしまう。
「先生は、顔がいいからモテるでしょう?」
 それまでの打って変わった近藤の頓珍漢な言葉に、僕は口を結んだまま顔を上げた。
 なんだこの男は。突然何を言い出したんだ。何の話だ。
 そんな僕の様子に構わず近藤は、目を輝かせながら言葉を続ける。
「先生みたいな人生ってのは、どんなもんですか?」
 心底馬鹿な男だ、と思う。自分が何を言っているのか理解できているのか。そうまで女にモテたいか。頭の中はそれだけか。
 無能なゴリラめ。僕の敵じゃない。
 なんて可哀想な男だろう。役立たずでお人好しだけが取り得の低脳が、大将だなんておだてられていい気になって。可哀想に。身に余るその地位にあなたは足元を掬われる。剣を捨て地位を捨て仲間を捨て、今すぐ田舎に帰り芋でも作って暮らすのならば、命までは取らないものを。可哀想に。
 僕の人生ってのは近藤さん、あなたのような馬鹿に囲まれてきた人生ですよ。僕より馬鹿な人間と、僕より弱い人間しかいないこの世界で、退屈してきた人生ですよ。
 長男の務めも果たせない病弱な兄と、その兄に依存する弱い母と、母を止める事のできない弱い立場の父に囲まれて育った人生ですよ。
 あなたのように簡単な人には、判らない人生ですよ。
「……近藤さんみたいな人生ってのは?」
 思いが溢れ出さないよう、そっと息を吐くと僕はそう訊ねる事で質問をかわした。
 その言葉に近藤は顎鬚を弄りながら、少し考える素振りを見せる。
「どうしようもなくモテないけど、それでも元気です、みたいな?」
「みたいな、ってそんな」
 単純なその言葉に思わず僕も微笑んだ。
 なんて幸せな男だろう。この幸せを僕が壊すのだ。この男から味方を取り上げ絶望を与え、命を奪うのだ。そしてそれは、この男に心酔する土方への何よりの刃となるだろう。
 土方の、あの澄ました顔が、苦痛に歪む様が、見たい。
 口元を引き結ぶと真顔を作り、僕は言葉を続ける。
「近藤さん。僕は顔がいいです」
 あなたよりは女性にもモテるだろうよ。それがどうした。僕は女は元より、低脳な人々すべてに興味がない。僕は誰にも、何にも文句は言わせずやってきた。僕の願いはそんなちゃちなものではない。
「は。確かに」
 背筋を伸ばした近藤に、僕は笑顔を作って言った。
「しかも顔だけじゃないんです」
「ハイ?」
「頭も育ちもよくて、剣は北斗一刀流の免許皆伝です」
 わざと気取って眼鏡の位置を直しながら、僕は澄まして言ってやった。
「凄いでしょう」
 どう反応したものか困った様子の近藤は、訳が判らない風情でそれでも素直に頷いた。
「凄いです」
 愉快だ。なんて間抜けなお人好し。君と僕の努力は違う。流した汗が、決意が違う。これが事実だ。選ばれる為の最大限の努力を惜しまなかったのが、僕だ。僕がここにいる、その心構えは君とはまるで違うんだ。
 目と目が合えば、近藤は、ぷっと笑って吹き出した。その笑う様に僕もつられた。
 おかしくて仕方ない。場を取り繕う自分が。近藤の血の巡りの悪さが。彼の運の悪さが。僕という男と同時代に生まれなければよかったのに。生まれたのならば仕方ない、小市民然と田舎でひっそり暮らせばよかったのに。
 お気の毒様。出過ぎた杭は打たれるんだ。身から出た錆。君にはふさわしい結末を用意してあげよう。
 その時を思えば、おかしくておかしくて僕は近藤と顔を合わせては腹を抱え、笑いあった。近藤の笑う姿の哀れさに、僕にも笑いが溢れて止まらない。愉快だ。こんなに笑ったのは初めてだ。
「お、俺ね」
 笑いすぎて近藤は、声を出す事すら覚束ない。涙目になりながら近藤が言葉を繋いだ。
「俺、先生が好きですよ」
 明るい声だった。楽しそうな声だった。それがどうした。近藤の言葉は時々唐突で、馬鹿を露呈している。僕のような優秀な男が察してあげなければならない。放り投げられた欠片を拾ってあげなければならない。そうしなければ会話にならない。
「そうですか? ありがとうございます」
 それでも、言葉が足りなければ全体像が判らない。次の言葉はなんだ。僕はようよう笑いを収め、近藤が顎鬚を弄るのを眺めた。
「先生もね、俺を好きになってもいいですよ」
「ハァ?」
 予測していなかった言葉だ。近藤が言った言葉の意味が判らない。思わず装うのを忘れた、馬鹿にした声が出た。それをどう思ったか近藤が駄目押しのように笑顔で言った。
「好きになってもいいです」
 本気で近藤を殺そうと思ったのは、その時だったと思う。それまでにも散々、死ねばいいと思っていた。だがその瞬間、純粋に、脳内で言葉が弾けた。
 死ね。
 なんて単純な男だ。このバカさ加減は正に死ななきゃ治らないのか。
 死ね。死ね。
 それは、幸せな男の告白。なんという傲慢。まるで祝福を与えられた者であるかのように。悔しい。土方と、男同士で恥ずべき振る舞いに及びながら、何故日の下を歩くのか。己のどこにそれ程の自信があるというのか。とっとと塩の柱となれ。業火に焼かれろ。
 言うに事欠き、まさか己に惚れろとは。なんという思い上がりだ。呪われている。能天気な偽善者め。果てない享楽に溺れた、その間抜けさは罪と知れ。
 何故こんな男が存在するんだ。世界に愛されていると思い上がった絶対の自信。君ごとき、一体何様のつもりだ。はらわたが煮えくり返る。
 それでももうじきだ。この男の命は僕が握っている。そう思えばいくらでも僕だって笑顔になれる。
 僕は近藤を、殺そうと思う。
「……ありがとうございます」
 やっとの事で僕はそう言った。素晴らしい。僕の理性万歳だ。彼に平手打ちのひとつもして、一緒にするなと、ふざけるなと言えたなら、いっそ近藤、君は死なずに済むんだろうが。
 これではっきりした。僕と君は交わらない。僕は君に惚れはしない。僕は君を、ただ、憎む。君が太陽の下を行く厚顔さを憎む。己の穢れに気を止めない不遜さを憎む。君の愚鈍さを、甘さを、ぬるさを、憎む。
 その後、近藤が何事か言ってはいたがうまく頭には入らなかった。当たり障りのない、僕の得意とする言葉を交わしている内に、監察の山崎が現れる。それを潮時と僕は客間を下がる。
 冷房の部屋を出ると、むっとした熱気が全身を襲う。夏の太陽は眩しくて、これ見よがしに光と熱を撒き散らす。なのに僕は、冷たい暗闇にいた。
 小さく、硬く、どんどんと圧縮される沢山の思い。幾万の言葉。黒く殺伐とした虚無は魂のブラックホールだ。
 気違いじみた頭の中に、死ねと突き刺さった言葉が離れない。
 高杉に会いたい。あの膿の塊のような男を見て、自分の毒など取るに足りぬと確認したい。泥濘(でいねい)の中から指を差し近藤を笑いたい。君の清浄さは偽ものだと罵りたい。全細胞がふつふつと煮える。なんたる侮辱。君はまさか、僕に、この僕に、自分が愛される価値があるとでも思ったか。消え失せろ。無能な男。
 気の触れた暴れ牛のように手当たり次第に体をぶつけ、近藤、君の周りのすべての平和を壊したい。狂気と絶望の汚物を近藤へぶちまけ、君が好きだと言った僕はこうして君を裏切ると、君は愛される器にないと、君を大将と認めないと、近藤へ残酷な事実を突き付けたい。
 近藤が見ているものが太陽なら、僕は太陽を拒絶する。僕は君と同じものは見ない。君と同じ道は歩かない。僕は君を殺そうと思う。
 高杉。僕は高杉に会わなきゃならない。破壊神だって神だろう。僕は紅蓮の魔王とシンクロし、僕の世界を変えなければならない。歪んだ異物を排除しなければならない。僕の世界を正さねばならない。
 近藤を殺し土方を葬り真選組を掌握し、そして世界を壊そうと思う。



 さあ、混沌と狂気に絶望を交えた断罪の、動乱のパレードを支度しよう。







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