光を待つミノタウロス・3

 次の日、俺は冬の遅い太陽が訪れるまでなんてとっても待てずに道場で木剣を振り回した。
 まだうんとチビの頃に竹刀を手にして以来、何万回と繰り返した型を意識せずになぞり、早朝素足の道場でも汗が噴出す頃になりゃ、型をさらう事自体が楽しくなってくる。
 白々と明け染める空の光に、俺は久しぶりに真剣で練習もする事にした。
 空気を裂く鋭い音に集中した身がさらに引き締まる。ただ型が決まったと思うほどにはまだまだで、次はもう少し腰を落としてみようだとか足幅の位置を変えてみたりだ、そうやってテメーの体で剣を操るのは、面白い。
 腰に佩いて歩くにも慣れた重みを、片手で握り、腕を伸ばすように頭上から振り下ろす。
 そうして俺は、脳裏に浮かんだテメーの姿へ、なんども刀を振り立てた。
 結論なんざ、とうに出てる。
 トシを、あの男を手に入れるのだと腹ァ括った時に俺が飲み込んだドス黒い塊が、今、復讐のように俺を飲み込もうとしている。
 トシを抱く前もこうだった。
 手ェ出しちゃなんねェと必死でテメーに言い聞かせ、見栄と体面ばかりを気にして、二人して互いに一歩も身動きが取れずにいた。
 そのくせ離れる事すらできねェで、大っぴらに惚れたと告げる事さえできねェ相手にぞっこん参った馬鹿さと不運さを呪いながら悶々としていた頃。
 あの頃は、この闇だか負だかの感情はいつも俺ン中に巣食ってて、ふとした拍子に獣のように俺を襲った。
 抱けばいいだろうと、そうすりゃアイツは拒みゃしねェよ、なァに目ェ見りゃ判る、アイツも俺に惚れてんだ。アイツも抱かれたがってんだよ。簡単じゃねェか、酔った真似して、どこぞの誰ぞに振られたんだと、慰めてくれよと肩借りるのを装って耳元でねだりゃ、拒みゃしねェよ。
 それにありゃァ、一度や二度遊んだからって途端に慣れなれしい態度をみせる女たァ違うさ。俺が言わなきゃ誰もアイツとの火遊びなんざ気付きゃしねェ。
 抱きてェんだろと、あの黒く長い髪を存分に手繰り寄せ、かすれた声で鳴かせてェんだろと、あの頃の俺の暗闇は頭ン中で囁き続けた。
 そんな若気の至りの気違いじみた俺の妄想を跳ね飛ばし続けたのは、トシ自身だと思う。
 トシは、遊びで抱いていいような男じゃねェ。
 世間ずれしているようでいて、妙にあどけない単純さがある。第一、俺を見る目がそうだった。俺を、いい人だと、テメーの利益は二の次のお人よしだと本心から口にする。
 確かに俺ァ困ってる奴ァ放っとけねェし、頼み事ホイホイ聞くとこもあるけどよ。
 俺ァトシが思うような根っからの善人じゃねェ。そんな、聖人君子じゃねェんだよ。
 けど、お前が。
 お前が俺を「信じてる」って言うから。
 お前が俺を、神様みてェな目で見るから。
 お前の理想の俺を演じんのは、キツイ時も確かにあるが、今はこれが習い性だ。お人よしのいい人でいるなァ、悪人でいるよりゃ楽だしな。でも、生まれつきの善人じゃねェ分、どうしてもどっかに歪みが生じて、参ったな、胸ン中でとぐろまいてた闇だの負だのが、鎌首持ち上げはじめてやがるよ。
 トシを、あの男を、手放すなんて夢にも思わねェって、そんな事耐えられねェだろって、そりゃァ俺のエゴじゃねェのか。
 俺につき合わせてアイツの目ェ塞いで俺以外を見たり感じたりできねェようにして、それでもお前は幸せだろうなんてよく言えたもんだ。
 トシを幸せにしてェ。
 一点の曇りもねェ程、完璧に、完全に幸せになってもらいてェ。
 アイツが俺といて楽しいだ嬉しいだ思ってくれてる事ァ判る。けど、俺ァどうしたって男で、トシも、間違いなく男なんだ。
 男同士くっついてんのが俺やトシじゃなきゃ、そういうもんかと受け止めんのに。
 実際、かぶき町にゃ男同士女同士、男女にしたって山程の訳ありカップルがうろついている。ことさら珍しい訳じゃない。混濁を受けとめる懐の広さでいうなら優しい町だが。
 トシが制服を着て町を歩く。その時、俺との事が知られててみろ。
「あれが局長のオンナだよ」
 悪意を持って囁かれる声が聞こえるようだ。
 攘夷を名乗るテロリスト達が率先して囃し立てるだろう、下卑た言葉がいくつも脳を駆け巡る。
「真選組ってなァ近藤に股ァ開いて忠誠を誓うらしい」
「なるほど、確かにあの副長、妙に色っぽいスキモノの面ァしてらァ」
 テメーでこしらえた幻聴に、胸が焼きついた。
 真剣を、一振り、二振り。
 今までトシを手中にしたと浮かれた振りをして、気付かねェよう自分を騙し、考えまいとしていた暗黒の渦が、畜生、ここにきて離れやしねェ。




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